白いうつわを中心に 三様のこころみ 三人展 によせて  

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   西村 俊
   角田 武
   小澤基晴

ことあるごとに
『うつわの始まりは、うつわ状に丸めた手のひらだ』って言ってきた。
そして、その次が植物の葉か、平たい石かホタテのような貝殻かだ。
それでその後、原始的な焼き物がはじまるわけだ。
だから、うつわは、自然の素材で、自然の色で出来てるのは当然なのだ。

白ももちろん自然界によく発見できる色であるのだから、
うつわ作りがめざすひとつの方向性として当初から存在したのは極自然のことだ。
が、こと白に関しては、特別な憧れがあったのは間違いない。
それは、紙や壁が、白を好んで求めたことと同様である。
白は、邪魔にならない背景になりやすく、食材や紋様や文字が、端的に引き立つ場合が多いからだろうが、
一方焼き物に関しては、土の質感を払拭して、いわゆる玉石混淆の“玉”をめざした。
一般に“玉”といえば翡翠。
翡翠と言えば、色は緑がかった白だろうが、土から見れば、神秘的でずっと白に近い色と感じたはずだ。
その“玉”への執着が、磁器を生み、白磁や青磁を進化させたと言っていいだろう。
しかし、それを突き詰めたのは主に中国であり、
日本では“玉”をめざすというよりも、まったく別の方向を極めようとしたのだ。

その代表が自然釉の焼締め陶である。
土味を隠すような方向へ向かわず、むしろ土味を引き立たせるような焼き物へと進んだのだ。
もちろんそこには、茶陶からの影響も多大であろうが、日本人が元来、土好きであったとも言える。
木質や石質にしても、できるだけ自然のままか、自然に近い状態を好んだのは間違いない。
自然と闘う大陸的な思考と違って、自然と共存しようとする日本人の宗教観や美意識のなせるわざと言える。
その傾向は茶陶以前に既に完成されていた文化に色濃くあったように思う。
縄文式土器から弥生式土器までの、無釉の土器時代が気の遠くなるほど長期であり、
それゆえに、我々民族の肌の奥深くにしっかり滲みこんでいるのだ。

 それでも日本文化がとりわけ白を好んだのは、間違いないように思う。
先日も、トリノ冬季オリンピックの開会式を見ていて、日本の選手団のコスチュームが単色に近い白であり、
他の各国は多色の有彩色であるのを見るに付け、やっぱり日本人には白がぴったりだと再確認した。

富士の雪嶺!満月の光!桜の花吹雪!真夏の積乱雲!雪上の丹頂鶴!

それらすべてが、日本独特の風情であり、白と言ってもそれぞれの色合いで、他の色とほどよく調和する。

このように本来白好きな日本人は、それゆえいろんな形でアプローチをしてきた。
先ほども述べたように、そのアプローチは、土味を拒むようなかたちではなく、
むしろ土味を強調するためのものであった。
その代表が粉引や志野であったのだが、
いずれにしても、ただ真っ白を志向したのでなく、中身である土味を色濃く意識したうつわの歴史を辿るのである。

そういった歴史の最先端に、いま我々はいて、今回紹介させていただくような陶芸家もいるのである。

特にこの三人は、私の好みの土を使っていて個人的に好きな作家です。
しかも、その土を生かすような志向で、自分の“白”を追求されている姿勢は、
単に前人の上手な踏襲でなく、リスクを伴う独自の挑戦があります。

西村俊さんの白は、
漆器を思わせるベタな刷毛目と、化粧土の拭き取りで、
無彩色でのおもしろいコントラストを見せます。
さらに灰釉のうっすらとした緑の玉を見せることによって
楽しいリズムが産まれています。
最小限の色味として、淡い緑が心地よいです。

角田武さんの白は、
粉引というより、志野と言った方がいいかもしれない。
長石が多めで、まったりとした釉調。
鉄分をたっぷり含んだ骨太の土は、化粧土に黒い影として現れて
胎土と化粧土が味わい深くバランスしています。

小澤基晴さんの白は、
純白とは対局にある白。
千年を経たかような寂びがある。
櫛目の象嵌も、形もムラがなく、繊細だが、
伸びやかな若々しさも失われていない。
角田さん同様、志野のような仕上げだが、
志野を生んだ美濃陶器の歴史的収斂の最先端を感じる。

三人三様で、白いうつわへのこだわりがあるが、
白へのこだわり同様に、日用食器へのこだわりも見逃せない。
工芸的に奇を衒うことなく、現代の食卓や料理への調和を意識しているように思う。
重ね勝手ひとつに焦点をあてても、この三人はみごとにクリアしている。
使うものの気持ちを大事にしているからなのだろう。
2006年2月吉日
うつわのみせDEN 田口巌


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