後藤義国 レジーナイワキリ“夫婦の”二人展によせて

粉引の壷にコスモス 絶妙な相性
秋桜と書いてコスモスと読んだのは、
いつごろからなのだろうか。

山口百恵が『秋桜(コスモス)』を歌うずっと以前 明治の頃のはなしらしい。
そのことが、もともと中米産のこの花が、幕末に日本に入ってきて以来、
どんなにかあっさりと、日本の秋にとけこんしまったかを証明している。

なんで突然コスモスかといえば、レジーナ・イワキリさんを、イメージした時にふと浮かんだからなんです。
今はもう秋、益子周辺にもきっとコスモスが咲いていることでしょう。
いっせいに咲き乱れるさまは、桜のような潔さも感じさせますが、
私が連想したのは、群生したコスモスではなく、誰かに大事に採られて、そっと壷に差された一輪のコスモスです。

  採った人の名を後藤義国といい、壷はもちろん粉引です。花は薄紅色で、茎はすらっと細長く、壷の口元にもたれかかるように可憐に咲いてます。

 レジーナさんはブラジルで育ったから、少しだけ日本語が苦手。それを義国さんが、面倒がらずに、いつもさらりとフォローしてます。義国さんに頼りながらも、しっかりした色を湛えているレジーナさん。その微妙な色を、際立たせているのが義国さんという粉引。そんな感じなんです。

作品はといえば、コスモスというよりは、広大な大地を感じさせる大胆な味が魅力。その情熱的な味は、南米で培われたものなのでしょうが、コスモスがそうであるように、不思議と日本的情緒に溶け合っています。

後藤義国さんが、民芸精神を継承しながらも、和と洋のさりげない融合を追求していることにも似て、レジーナさんは、自由奔放のようで無意識のうちに、南米の情熱的な精神と、日本の細やかな心遣いを溶け合わしているかのようです。

和洋のみごとな融合の時代に、大正時代があるでしょう。

 私の好きな時代です。後藤義国さんの作品を見てると、そんな大正浪漫の雰囲気を感じるのです。明治時代の和魂洋才も、富国強兵の意識も薄れた時代。また昭和時代のヤマトダマシイの雰囲気にも至らぬ時代。もっともっと自由な魂の時代。西洋の美と日本の美が、みごとに溶け合った時代がたしかにあった。

 伝統的陶芸や民芸運動の精神を超えて、後藤義国は大正浪漫のような独特の雰囲気を模索してます。

そして、今その和洋融合の雰囲気に、もっとグローバルで情熱的な香りをそえているのが、レジーナイワキリというコスモスの花ではないかと思うのです。

コスモス咲くこの季節に、
そんな平成浪漫の香りを感じにいらっしゃいませんか?



今回DMにした画像です。
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大正の時代の寵児 竹久夢二




数年前のパーティーの時のテーブルです(現在は作っていない作風もあります)

平成17年9月 うつわのみせDEN 田口巌