神様のロクロ目 DNAとうつわについて 

前回、こころはどこにあるかってことを考えてみて、皮膚感覚にあるんじゃないかって、
無理やり結論付けた。別の言い方をすれば、一番ファジーでアバウトな知覚を大切にしてみない?っていう投げかけでもありました。今回そこんとこらへんをもうすこし掘り下げてみました。
(ほりさげんな〜って声も聞こえなくはないのですが、まぁお付き合いください)
で、今回はそのもうひとつキーワードとして、
DNAというものを考えてみたいって思ったのです。

DNAは自分の意思や意識では、どうにもならないもの。変えられないものと考えられがちだが、つよい情緒的な衝動なんかがあると、変わるそうだ。変わるというのは、構造や情報が変わるという意味でなく、いままで働きが潜在していたDNAのある部分が、突如スイッチONになったりするってことみたい。

実は、そんな元気が出る発想を伝えようとする良い本に先日出会ったんです。
『生命の暗号』※という本だ。
科学の本でなく、わかりやすい本なので、是非おすすめしたい。

 13歳の娘にもこの本を読むようにすすめたくらいわかりやすい。
ちなみに余談だが、わが娘は、中学校に入学当初から、携帯電話がほしいと言ってきかなかったのだが、私としては大反対なので、ある条件を出した。まともな本を30冊読んで、それぞれ感想文を提出すること。それができたら、携帯電話を買ったる!ってことで、部活(陸上)と勉学(学校と塾)とピアノと野球(土日)の合間に、せっせと本を読んでるらしいのだが、どうも30冊は無理のようで、少し前に半分の15冊に変更したが、9冊あたりで、止まってるようだ。親としては、しめしめなのだが、真面目な話、メール全盛の時代において、読解力と文章表現力はたいへん重要なことになると思う。下手をすれば、誤解を受けて殺されちゃったりする時代だからだ。

 さて、DNAのはなしにもどるが、DNAは、すっげー小さいらしい。どんなにちっちゃいかというと、それが想像を絶するほどスッゲー小さいみたい。そんな極小なのに、単細胞のアメーバみたいのから、人間にいたるまで、みんな二重螺旋構造になっていて、その原理はみんな同じみたい。しかも人間なら足の爪から、脳細胞にいたるまで、すべての細胞に同じDNAが入ってるっていうから驚くわけだ。

で、その神秘的な構造に似ているものを、ここのところずっと考えていたのだが、先日ようやくその正体にたどりついたのです。(科学者の立場からほど遠い私には、けっこう楽勝な発見なのです。)

それは簡単に言って、ホロスコープです。

地球が自転しながら太陽のまわりを運行する時、地球のある時点の軌跡を追った場合、螺旋になる。また同じく地球の周りを回っている月の軌跡も同じような螺旋となる。その二重螺旋の軌跡は、DNAの構造ととてもよく似ていると思ったのです。私の持論なのですが、秘密を解き明かす、すべての鍵は、類似とか相似とかにあると思うのです。以前のコラムにも書いたですが、(非科学的で、スッゲーアバウトなはなしだが))原子構造と恒星系の構造は、相似関係だし、精子の形状と、人間中枢神経の形状は、相似だと思う。また、人がサル山を見ておもしろいのは、猿のDNAが人間と似てるからで、植物が花咲くのに感動するのは、そこにDNAの青春を見るからなのでしょう。
そしてまたDNAの構造と、地球と月の運行の軌跡にもそんな神秘的な類似を感じるのです。かたちばかりが似ているのでなく、目的や情報も似ていると思うのです。どちらも、人や世の中の過去や未来を厳密に決定付けているってことです。つまりそこに記述されていること以外に起こらないってこと。でも、起こりうる事象には、ある巾があって、多様性もあるってこと。地球と月が対になって影響し合い、また太陽(他の天体)との位置関係において、運命が左右されるのは、DNAの塩基が相対する塩基と影響しあい、全体的な位置関係でまた情報が左右されているのとよく似てると思いませんか。
西洋の占星術はおもに、太陽に主眼を置いたが、インドや中国では、月に主眼を置いて占いを成立させている。つまり、太陽暦の占いと陰暦の占いの融合に、真のホロスコープがあるように思うのですが、その占いの内容は、いずれにせよ科学的でない。でも、ある程度の真理を認める人も多いでしょう。古今東西、占いが世界を変えてきたといっても過言でないからです。それだけの影響力を人類に与えてきたのは、まぎれもない事実です。
 極論ですが、地球以外の遠く離れた惑星の生物のDNAは、3重や5重の螺旋だったりするのではないか、そこにはまた、別のホロスコープがあるのではないかって思うのす。

 今や、どんな小さな会社にもコピー機があり、携帯電話にもカメラ。複写技術が盛んになって、逆に本当の意味で、真似る力や記憶力が低下しているのではないか。ほんとうは、コピー力こそ、生命の根源なのにって。たったひとつの細胞からコピーにコピーを繰り返して、生命は個体をつくるわけだ。そして、さらにまた、生命の暗号であるDNAは、その発生からして、コピーだったのではないかと想像は膨らむのです。

 さて、突然ですが、神様(仏様でもいいのですが)が
ロクロしてるのを想像してください。(はいはいってアイヅチ?)
 神様ははじめに、自分の身体の一部を取って、
それでロクロをおひきになった。(はいはい)
それでまず、一番きれいなロクロ目の宇宙をお作りになったわけです。

村田 森 作
その宇宙のロクロ目には、未来の運命まで、ぎっしりと情報が詰め込んであった。
でも、ロクロ目とロクロ目の間には、ファジーな部分を残して、それ自体にも主体性を
残しておいたんだな。つまりそれ自体が主体性をもつ生命体に。
で、神様の乗り物にも、神様のペットにもなるようにしといたわけ。(はいはい)

すると作られた宇宙は、自己愛にめざめ、神様の作り方を見習って
自ら小宇宙をつくるもんがあらわれた。
小宇宙も小宇宙で、大宇宙に憧れて、これまた極小宇宙をつくる。
どんどん小さくなるけど、最初の神様の絶妙なロクロ目は、
超ミクロな宇宙にまで、引き継がれていった。
でも、ある程度独自の変化もあり、だから多様性も生じたのだ。が、

それで、それでだ。その多様性の果てに・・・
ある青い惑星でのはなし。

ちょー熱い地球がちょっと冷めはじめたころだったか、
海が水面に天空の月を映し出す満月の夜。
長年天空を映し続けてきた とある水泡が、塵みたいのを材料にして、
ついに己の内側に、月と地球の軌跡をコピーすることに成功した。(お〜っ ぱちぱち)

それがDNA。それが地球上の生命のはじまり。で、しばらくすると
なかなかかわいげに頑張る者(=人間)も現れてきたので、
神様の仲間たちが好んでそれを乗り物やペットにした。
というわけで、私たち人間はいまも、天使たちの乗り物(時々悪魔も乗る)で、かつペット。

銀河系、太陽系それに地球という生き物。
地球に巣くう大腸菌みたいなやつが人間。で、その人間の腹の中にもまた、
ほんとの大腸菌(これ人間のペット?)がいて、
大腸菌もまたDNAという生きた宇宙を持っていて、
DNAのなかに、また想像を絶するミクロな宇宙が存在するんだ

と私は思うのです。

その複写能力を支えているのは、“憧れ”なんじゃないかって思う。
単純なはなし、野球少年がイチローに憧れて、彼をコピーするような・・・
憧れっていうと、とてもアバウトのような気がするけど、
神様が最初に創った設計図は、人間のDNAのように、ある程度ファジーなものを
いっぱい含んでいた。だから、イチローの精神性を強調してコピーするものもいて、
打撃ホームを強調してコピーするものも、可憐な守備を強調するものもいて。
それで、駄目なのは、早めに壊れちゃったり、絶滅しちゃったりするんだけど、
その志みたいなものは、引き継がれる場合が多々あるわけです。

たとえば、太陽系が、壊れちゃっても、いわば太陽系のDNAみたいなものは、
どこかで引き継がれてゆくんだと思うのです。
また、良寛は子を成さなかったわけですが、
そのDNAは、貞心尼(晩年の弟子?愛人?)ばかりでなく、
彼の生き様を慕う大勢の人のDNAをにわかに変えてゆく!
そう思うのです。
そういうエモーショナルなものまで含めて、設計されているんだと思うのです。

さてさて、そこで、いつもの通り、
ぐっと手短なはなしになります。
おまたせしました。陶芸のはなしです。

もう、オチが見えちゃってると思うのですが、
要は“憧れ”と“真似”であります。
憧れの対象である自然や先輩のDNAを、
自分なりに“真似”して、己のDNAとして、うつわに埋め込むこと。
そこに、陶芸の真理と宇宙の真理が溶け合うように思うのです。
そこに生まれた一客のうつわは、ある意味宇宙であるし、さらにミクロな宇宙を内包している
と言っていいのではないでしょうか。

現代では真似は、機械でもすることで、人としての能力としては軽視されているような
気がします。それは大きな大間違いだと思うのです。
機械が真似るのは、
ある局面の○×をまったく同じにコピーするにすぎません。
憧れとか志ってものが入る余地が無いからです。
DNAのように、情報のなかに、もともとアバウトでファジーなものが
あるからこそ、憧れとか志が、その部分に反映するのです。
そのアバウトで、ファジーな部分をおもいきって“愛”と言っていいかもしれない。
それで正確な情報の部分を“智”と呼ぶなら、
その“愛”と“智”が世界を創造していくんだ!
って思うのです。
私の大好きな空海や西行や良寛は、
月を見てその月の姿に、悟りの境地を見た。
それは、私たちが、動物園でサル山の猿たちに抱く慈愛や、満開の桜を見ることの喜びの
延長線にあるように思うのです。
すなわち月のなかに、自分のDNAの原型を見るのだと思うのです。

『真似』を重視して表現論を立てたのは、世阿弥だと思う。が、
世阿弥は、表層を真似てはいけないと書いていたと思う。
“心を真似よ” そう 花伝書に書いていたと思う。
私は、これには少し反対。心は正確には真似ることはできない。
だから、表層を真似て心を込めていくのが、摂理なのだと思う。
まず憧れ。そして真似。
また憧れ。で、また真似。
それでいいのだと思う。
また、それは現代日本の教育にもっとも欠乏しているもの。
それを見失えば、日本の陶芸も、教育も、社会も無くなってしまうでしょう。

星一徹はたしかこう言ってました。
“巨人という星座のなかの、ひときわでっかく輝く星になるのだ!”

一徹は、良寛が、月に悟りを見るがごとく、また世阿弥よろしく口伝したのだ。
まっすぐに、わが子に!“憧れ”を与えたのだ。

が、悲しいかな今 世間の大人はこう言います。
“イチローは天才だ。イチローには誰もなれない”って。
でも、イチローが天才のDNAを持っていたわけではないと思う。
このギャップを埋めてゆくのは、第二、第三のイチローでしたかない。
憧れを最後まで持ち続けたものだけが、輝き、後世に残り、次世代の憧れになるのだ。
その“憧れ”“真似”の連鎖こそ、DNAを変えるもの。
あるいは
神様が生み出した最初の絶妙なロクロ目(智)と、
ロクロ目とロクロ目の間にあるもの(愛)。
なんじゃないかな〜って 一介のうつわやさんは思うのでした。

では、最後にDNAの塩基配列みたいな言葉でお別れしましょう。
 
 
 あかあかや あかあかあかや あかあかや
  あかあかあかや あかあかや月
  
                    (明恵上人)
 
 生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く
  死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し
                        
(空海)


※『生命の暗号』 村上和雄 著 サンマーク出版


2005年6月3日
うつわのみせDEN 田口巌

うつわのこと もくじ
topに戻る