おっぱいがうつわ

先日、うちのお得意さまの御依頼で、
新装開店の和風レストランのお仕事をさせてもらった。

食器ももちろんだが、本業の金属加工の方でもやらせてもらった。こちらのセンスなどをある程度理解して任せていただいたので、大変でしたが、楽しくできました。御招待されてオープン前に御馳走になってしまいました。素敵なうつわに、きれいに盛られているお料理はみんなおいしくて、ママをはじめ店員さんたちが、細やかに気がきいて…って感じです。なんで、食事が写っていないかというと、喰意地がはってて、食べ終わるまで撮影を忘れていたからですぅ〜。

母庵(ままあん)の外から全景。

目黒通りからちょいと入ったところ。

母庵(ままあん)のエントランス。

ここをくぐると、別の空気に包まれる。

denが作りました。ままあんのマスコット。

おしながきを持ってお出迎え。

おっぱい=うつわのロゴが光る。

夜は中に入ってる照明が、おしながきを照らしてくれるんです。

DENからのプレゼント。

川口聡一の陶の照明。母庵の文字がくっきりと浮かび上がり、背後に幻想的な影を映し出す。

特別注文の品。

カウンター席のバーコーナー。

間接照明は、denがつくりました。

ステンレスの下地に銅板を接着してあります。光を透かす図案はやっぱり、おっぱい=うつわ。

テーブルのダイニング席。

光と緑が爽やかな部屋。

4人席の隠れ部屋のような、個室。

大きな掘りこたつのある部屋。

トイレの流しもden作。

半田で汚してわざとサビをだしてる。

おまけ。へんなひとたち。

たぶん みぎのひとが我が妻。

ここが目黒区碑文谷の母庵(ままあん)です。

こちらのロゴマークはおっぱいがうつわになっています。

うつわがおっぱいとも…

これは私にとってかなり啓示的な図案です。

どんなに啓示的かは後に書きます。

 このお店には、女主人の意向で、さりげない優しさが随所にありました。その優しさが、食器や料理や部屋づくりやテーブルの配置までにあらわれていました。それはみんな大きな意味でのうつわではありますが、そのテーブルや壁や食器や料理が私のこころを動かしているというよりも、その背後にあるもの?いや前にあるもの?に動かされるような感じがするのです。

 そう、あらためてうつわというものが、空間とかその場の“気”みたいなものなのだなぁ と感じたのです。

 つまり、皿とか鉢とかカップとかでなく、さらには部屋や家のことでもなく、そこにどれほどの気持ちをこめられるかってこと。しかも気持ちの大きさは、なんと無限大まで可なのです。無限大に空間は“気”を抱え込むことができるということです。宇宙は無限に大きいけれど、その宇宙をいくつも超えていくほど“気”はさらに大きいように思えます。逆に無限大に小さいところにも納まってしまうのも“気”です。それがうつわの本質! そう、“なにか”を包み込むように乗せてるものがうつわなのではなく、うつわの本質は、それが乗せている“気”そのものであると思われるのです。人間もしかりです。

 人間は自分の体や自我が自分自身であるように思っているけど、そうじゃない。体や自我は、文字どおりの器物にすぎない。あいまいなものに気をつかってると面倒臭いので、たいてい自分に限界を決め込むわけです。でも私は最近ようやく、人間の本質は、体や自我に宿っている霊みたいなものだと考え至りました。

 銀河もうつわでしょう。たいてい銀河をそとから見るとまさにうつわのような形をしています。銀河系は平鉢の口どうしをあわせたような形をしているし、轆轤めがついたように渦巻いていますね。実際見えてくるのは燃えてる星だけですが、その恒星と恒星の間には暗黒の空間が広がっている。光る星たちは、外観にすぎないのです。ここでも、やっぱり本質は目に見えないものだと思えてくる。自我なんかは一見目に見えないように思われるでしょうが、短時間の心理テストで、くっきりとしたかたちが現れてしまうはずなのです。でも、間違ってはいけないのです。本質は目に見えないものでも、目に見えるものをないがしろにしては絶対ダメ。体や自我や食器や家を大事に大事にすることによって、本質がきらきらと光るのですから。

 大好きなうつわを、大事に大事に育てていくように使っていく。そうするときっと、見えてくるものがある。それは本来見えないものですが、光るようにはっきり見えてくる。それがうつわの本質だと感じるのです。独断でしょうか。神秘主義でしょうか。なんと言われようと私はそう思うのです。そう、もともと人がそう思う意志こそ、真理であり、創造なのです。現実は常に意志の強い方に変化するのです。『光あれ!』といえば、ほんとうに光るです。

そうして、さてさて、啓示のはなし。

 ああ、

おっぱいがうつわで、うつわがおっぱい…

   おっぱいがうつわで、うつわがおっぱい…

      おっぱいがうつわで、うつわがおっぱい…

私の頭のなかをリフレーンしてるうちに、

色即是空 空即是色…とオーバーラップしてゆく。

しきそくぜくう おっぱいがうつわ 

 くうそくぜしき うつわがおっぱい…

見えるものの本質は、見えないものにあり、

見えないものの本質は、見えるものが映し出す。

 

 おっぱいは、物質である。しかれど、こと男性は、その形状や大きさにえらくこだわったりしてる。それなのにそれなのに、ほんとうは男はおっぱいを、(形状や重さを属性として持つ)物質として見ていないのだ。母性の象徴として、あるいは異性の象徴として、おっぱいを見ているのだ!

 うつわも一般には物質である。私は、その美しい物質性を、夢遊病者のように探し続けている陶芸ファンを大勢知っている。(私も含む〜) しかれど、その実体は先に書いたように、『空(くう)』とか『気』とよべるような非物質性にあるのだ。これ、ほんと!ゆめゆめ疑うべからず。

そして、乳房=器の共通点は、私にはかなり意味あることに思われる(おれだけか?)

 もし全宇宙に形があるとしたら、その形は、命を賭けてもいいが、おっぱいうつわ(食器)に似ているだろう。(女性器や男性器や釘抜きに似ててはいけない!ねっそう思わん?)

そいでもって、しかも、

そうしかもだ。その本質は、その形状になく、大きさになく、その重量にない…

すなわち、宇宙は無限だ。はてしがない。

ここまで、読んでいただいても、何言ってるのかさっぱり分からない方!
いっしょに、ままあんへ行くぅ?啓示を授かりに…

 母庵Himonya           

 営業時間
 ランチ 月〜金11:30〜14:00

      土日11:00〜14:00

 ディナー月〜金17:30〜22:30

      土日17:00〜22:00

〒152-0003目黒区碑文谷5-7-11
    TEL03-3719-1280

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