“注ぐ”陶展 2002年12月10日(火)〜23日(月) 16日(月)のみ休廊

  --出展陶芸家--
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   上野利憲
      樽見浩

   後藤義国
      池部健

   加古勝己
      額賀章夫

   小峰尚
      野田耕一
   檀浦誠二、ほか 

 注ぐという行為は、なにか神聖な感じがするのは私だけだろうか。

瀕死の釈迦にスジャータが与えたミルク。

 

キリストの血として与えられるワイン。

 

洗礼の水。 

清めの水。

恵みの雨。

そして、太陽の光。

 

注ぐ行為は、私たちも毎日何度もしていることだが、液体を捨てる行為と決して混同してはならない。

注ぐとは、生かすこと。布施とか慈愛の意味があって、排水口にただ単に水を捨てるような事とは、区別したい。

もっと神聖な、もっと有用な、もっと愛に満ちた行為として、日々意識するべきことのように思う。

徳利から盃に酒を注ぐ時、

新鮮な野菜にドレッシングを注ぐ時、

急須から湯のみに茶を注ぐ時、

片口鉢からよく味のしみた汁を、飯に注ぐ時、

そんなとき、あなたは、愛が波打つのが見えますか?

盃が、うれしくてほほえむのが見えますか。

野菜が、いっそう瑞々しく華やぐのが見えますか。

湯のみが、お茶とまみえて赤らむのが見えますか。

飯粒が小躍りして喜ぶのが見ますか。

注ぐの語源は、“そそ”という水の音。擬音語から発生した動詞です。

“そそ”というささやかな響き。

無頓着な人なら、聞き逃してしまいそうな“そそ”。

しかし、心ある人はそこに愛があることを知っています。

そそ…

 

愛が波うつ
音に導かれて…

2002年暮れ

“注ぐ”陶展

★コラム 『注ぐうつわと下町天使』 も是非。