良寛と遊ぶ   2004年3月29日のこと -1- 

出会い橋から ちょっとあがったところ -陶芸家村田森と出会う

人はどこからやってきて、
どこに行こうとしてるのだろう


そんな大命題は、さておき、
私の家族は、たった3日の旅に出かけることとなった。

それは、たった3日ではあるが、3年半ぶりの家族旅行であり、我が家族には結構大事なイベントなのだ。
三年半前にも、家族で陶芸家に会いにいく旅をしたが今回も同じ。
仕事兼家族旅行だ。
が、目的がふたつあるわけではない。目的はひとつ。自宅から出発して、自宅へと帰りつくことだ。

人はどんなに遠くへ旅しようと、帰るところを持っている。だから旅に出るのだ。

あえて先の命題に答えるなら、
自分自身から発して、自分自身に帰りつくこと それが旅であり、人生か。

というわけで、私たちは平成16年3月29日午前2時に川崎市の自宅を、愛車プラドで出発した。

最初の目的地は京都。
午前8時ころには、京都市のなかにいた。気持ちがいい朝だったので、加茂川の河川敷みんなで写真を撮った。

京都は何年ぶりだろうか。中学校の修学旅行の後は、大学のときに父母と来た以来だ。その父母も今はもういない。それに思いのほか私たちも年老いて、我が子も育った。

(以前の買い付け旅行の記録もチラッと見直してほしい。桃栗三年と言うが、子も三年で驚くほど育つ!)







西行の有名な歌
こころなき身にもあはれはしられけり
鴫立澤の秋の夕暮

の鴫とはこんなんだろうか。
いづれにせよ 春の古都も、詩情をかきたてるものがある。

      で 私も一首

 こころなき 身にも
 朝日は差しいずる
 鴫立つ川の春のすず風

              -den-



さてさて、
朝の気持ちよい空気に気をよくしして、最初の訪問先の村田森さんの工房兼ご自宅へと向かった。

市街地から20分ほど山に入っただけのところなのに、とてもひなびた田舎。
携帯電話の電波も悪くなってしまったので、近くで人に聞いたところ、わかる範囲で実にていねいに教えてくれた。


 “出会い橋”から
ちょっと細い道をあがったところ


そう、その人が教えてくれた通りだった。
“出会い橋”という心地よい響き通りの、素敵な三叉路。きれいな小川があり、その更に支流に掛かったかわいい橋から、見上げると古い民家の屋根が見える。それが最初の訪問先である村田森さんのご自宅だ。

いっぺんでそこいらが好きになった。家に入るとまたその落ち着いた風情に、にわかに感動した。

実にいいセンス!気負いのない美意識がただよっている。若い二人の理想がはっきりと見えた気がした。

落ち着いた居間に案内されると、この陶芸家に会いに来た幸運を、すでにうれしく思った。

 実は私は、この陶芸家の作品を一度も手にしたことがなかったのだ。陶芸雑誌とインターネットで、数点の作品を見ただけ。それなのに、彼に対する興味が日増しに膨れて、とうとうアポをとって訪問することになったのだ。出会いとはそんなものなのだ。村のおばさんの言葉どおり。
 
 “出会い橋”から
ちょっと細い道をあがったところ

そんな風に、陶芸雑誌に載っていた一枚の写真から、ちょっと坂道を登ったところに、ポツンと出会いがあった。
それを育ててこそ、ほんとうの出会いなんだと思う。出会いは焼き物と同じ。育てがいのあるものだ。
 
 彼はといえば、出会いを創造しようと努力しようとしていた。本格的な陶芸の道を希求しつつも、一方で、多くの人に“出会える”日用食器に力を注いでいるように思えた。

さらに薪焼成による本格的な南蛮にも挑戦して、自分の幅を広げようとしていた。その窯も、その南蛮の焼き物も、まだ途上にあるように思えたが、まだ見ぬ出会いに、大きく開いているように見えた。


 思えば、陶芸の道はその途上に、運命的な出会いが横たわっている。
 
人は生まれた時から多くの焼き物にかこまれて育つわけだが、陶芸の道に入るには、自分の心を射抜くたったひとつの焼き物との衝撃的な出会いがあるものだ。
 
そしてまた、道を進めば“土”との出会いはかかせない。どの土に出会うかで、その道は決定されてくるといってもいい。女房みたいなものだ。

そしてまた道を進めば、窯から出てくる自分の作品との“出会い”に驚かされる時が来る。窯とは、女性の子宮のよう。新たな生命への“出会い”を与えてくれる。
先の命題にまた戻るが、
人は母の子宮より生まれでて、
一生かけて母の子宮に戻りつくもの
なのかも。

そんなことを、どんどん想起させる新鮮さが彼の工房にはあった。

いわば
初産を待つ若い家庭のような工房

そこから生まれ出るものに、強く期待をいだかせてくれた。

人が住んでいない古民家を購入し、自分たちの手で再生中。玄関の土間の土壁や黒々とした柱や梁が、無粋な訪問者を暖かく迎えてくれた。


床の間には、村田さんの作品と、お父さんの絵(有名な画家)があり、落ち着いた雰囲気。決して、これみよがしでないゆったりとした空間がそこにある。
日本的な引き算の美をよく知ってる方だとわかる。


顔つき合わして、お仕事の話。ビジネスのお話もちゃんと
理解してくださり、バランス感覚のいい人。


南蛮を焼く薪の窯。
めずらしいタイプの窯。
ここから新しいいのちがうまれ出る

 作品をいろいろ見せていただいているあいだ、子供たちは、きれいな奥さんに連れていってもらって、きのこをどっさり採らせてもらった。仕事も終わって、子供を大声で呼んでも、下に流れる小川から、なかなか戻って来ない。子供もすっかりこのあたりが好きになってしまったようだ。
都心からわずか車で20分でこんなところがあることが驚きだ。それが京都のすばらしさか。
私の大好きな西行もこんなところに、遁世したことがあったのだろうか。

岩間とぢし氷もけさはとけそめて
 苔の下水みちもとむらむ

     -西行-

山かげの岩間を伝ふ苔水の
 かすかにわれはすみわたるかも

     -良寛-



この二つの歌を並べるもなく、西行と良寛は心で繋がっている。
 
 西行も良寛も、山の庵を住みかとしたが、まったく人の来ないような所に住んだわけではない。むしろ、いつでも人里に行けるようなところを好んだ。雪の深い冬こそ、独りのさびしさを極めたが、雪の溶ける春にもなれば、人が訪ねて来るのを心待ちしていた節がある。
 上の二つの歌も、自然と己の対峙のみの歌ではない。人との出会いへの期待が潜んでいると解したい。溶けて流れる水に、己を投影するも、流れる先には人がいる。人がいるから生きていける。生きていけるから、花や鳥や月にも、また出会えるのだ。

南蛮焼きは、海の向こうへの憧れの産物だと言える。
この磁器と対極にある土と焼きに魅せられる陶芸家は
数多いが、実際作品を極めるのはたいへん難しいと言えよう。それでもこの焼き物が、人の心を捉えるのはなぜか。折口信夫の『まれびと』的な解釈をしてみたくなる。海の向こうからやってくる者が、幸をもたらす神様だという信仰。海の向こうからやってきた神秘的な焼き物に、『まれびと』を見るのではないだろうか。が、本質は海の向こうからやってくるのではない。『まれびと』は、日本人の心の中にあるのだと思う。。


磁器もまた、大陸への憧れをどこかに潜めてるが、
その憧れの育て方が、日本独自だと言える。
大陸の磁器には、もしかしたら無い何かがある。
京焼きと、高い美意識のなかで育った村田森さんの磁器は、そんな微妙な何かがあるような気がする。
言ってみれば、玄関わきに、こんなふうにちょっと花をさして、客を迎え入れる感覚か。その感覚は大陸にはおそらくはない。
 
 村田さんも、
この家ではじめて冬を越して、しみじみ冬の厳しさを味わったそうだ。
 
 そして、ようやく水も温んで、ほっとしたこの頃、私たちがひょこりやって来たのだ。

良きまれびとであっただろうか。

(人は己が罪多きものでも、他者にとって仏となりうる。そう教えてくれた人に感謝)


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