良寛と遊ぶ-2003年4月1日

大きな器の影にある小さな器 日本。

“器の大きな人”と日本人が使う言葉の
器の大きさとは、
体積とか質量のことではない。
ましてや力や賢さのことでもない。

“器の大きな人”とは良寛のような人。

人は彼を大愚と呼ぶ


西の果てにあるという、日本人が古来羨望し続けてきた浄土。そのさらに西にある文明発祥の地で、悲惨な戦争が起きています。

この『良寛と遊ぶ』の以前のページでも揚げたように、やはりブッシュ大統領は、そんな人だった、っていうことです。というよりそういう民族なんですね、きっと。

私はこの戦争にどう対処したらいいのか。反対のデモに参加した方がいいのか。それとも、インターネットで反戦を声だかに叫んだ方がいいのか。あるいは、見て見ぬ振りをして過ごした方がいいのか。そんなことを真剣に考えている私に、店の裏で山積みの陶器と格闘している妻は、『ぼーっとしてるなら手伝ってよ!』って怒鳴ってる。なるほど、その通りである。遠い地球の裏の方の話より、今、目前にある米を掴むことが先決でもあろう。たしかにそんな時代でもある。

 先日テレビで、あるアメリカ通の評論家はこんなことを言っていた。

『日本政府がいかに声高かに戦争に賛成しようと、戦線に出撃して共に戦わないかぎり、アメリカ人は日本人を“chicken(臆病者)”と呼ぶだろう。

しかし なんと言われようと、日本人はそんな挑発的な言葉に対して開き直り崇高な臆病者を演じなければならないのではないか。そういう時代を迎えようとしている。』

 

とても的を得た鋭い考察だ。好戦的な狩猟民族と温厚な農耕民族との隔たりは、如何ともしがたい。彼らに言わせれば、たしかに臆病者なのかもしれない。しかし相手の戦術や雑言に巻き込まれることなく、独自の哲学をもって日本の道を行くしかない、という卓越した物の見方だと思う。たいへん共感した。

さて、この“chicken=臆病者”を聞いて思い出したのが、『Back to the future』のマイケルJホックス。彼は劇中、喧嘩相手が吐く“chicken”の言葉に反応してしまい、かならず危ない道を選んでしまう。そう、それが古き良きアメリカ魂なのかも知れない。“chicken”と言われて、殴りかからないようではほんとうの“chicken”になってしまうのだ。そんな“Back to the future”なアメリカ人の大半は、やはり劇中のマイケルJホックスのように『敬虔な田舎者』であるブッシュが大好きなのだ。それは劇中なら良いが、テロの蔓延する現実においては、かなり悲劇的なことである。

そして、さらに悲劇的なことは、イラクの人民もまた“Back to the future”な人民だということだ。“未来に戻る”みたいな明白な矛盾を死んでも押し通すような民族性を、悲劇的としか言いようがない。

さて“chicken”でもうひとつ思い出すのが、言うまでもなく我が師“良寛”である。たしかに良寛は、“chicken=臆病者”に分類される人であったろう。血を見るのがたいへん苦手だったことも伝えられている。それに、子供の頃は『名主の昼行灯息子』と呼ばれ、その愚鈍さをかなりからかわれたようだ。あまりにもバカ正直で、世事に疎いからだ。

しかし良寛はそのバカ正直を一生かけて磨き上げた類い稀なる大人物である。だからこそ、人は良寛を尊敬の意を込めて『大愚』と言うのである。

良寛にはその人柄をあらわす多くの逸話が残されているが、バカ正直さという点において、こんな逸話を紹介しておこう。

 悪党の船頭権三は、良寛が決して怒らないという評判を聞き、それならおれが怒らしてやろうとたくらんだ。良寛が舟に乗ると、わざとよろめいて水しぶきを良寛にかぶせた。それでも一向に怒らない良寛を見ると今度はおもいきりひどく舟を揺らした。と、良寛は川に落っこちてしまった。泳ぎを知らない良寛は溺れて死にそうになった。まさか殺すつもりもなかった権三は、川に飛び込んで良寛を舟の中に救い上げてやった。大きな息をして良寛は権三に言った。『ありがとう。お前がいなければ、わしは死ぬところだったよ。ほんとうにありがとう』と。舟が岸につくと、また権三にお礼を言って、深く感謝してその場を去った。良寛に感服した権三は、その後、五合庵を訪ねて、真面目な人間になることを良寛に誓ったという。

 この同じような逸話が実にたくさん残っているから、ほんとうにそういう人だったのに違いない。この徹底した無抵抗主義はガンジーを想起するが、ガンジーのような指導力も作為も良寛にはない。ただただ自然なだけだ。

 こんなはなしもある。夜中泥棒が良寛の寝ている夜具を盗もうとしているのを知り、良寛はわざと寝返りをうつふりをして、泥棒がとりやすいようにしてあげたという。その時の句。

 『盗人に 取り残されし 窓の月』

なんとも呑気なもんである。“Back to the future”の対極にある日本の月だ。

 

 
崇高な者は、時に愚か者に見える。
鶏後とも 牛後ともなれ 日本人

   カバのシッポの指す道行かん  -den-

 

 私は、反戦のデモ隊と警察が衝突して血を流しているのを見ると、とても複雑な思いがする。安保闘争の悲劇が蘇る思いがするからだ。
理想に燃えたあの学生達は、あの戦いで何かを勝ち得たのだろうか。

 

 打つ人も 打たるる人も もろともに

 如露亦如電応作如是観( にょろやくにょでんおうさにょぜかん)

 

 夜中、芋泥棒に間違えられた良寛は、農夫に捕まって、さんざん棒で打たれた。声を聞いて良寛様と気付いた農夫はひたすら謝ったが、良寛は『なんともないよ』と言い、にっこりと笑って口ずさんだのが上の歌と言われている。

 討つ人も 討たるる人ももろともに…は、戦国の武将大内義隆の辞世である。
それを良寛はもじったのである。
如露亦如電応作如是観は、人生ははかなく、露や雷明のごとくである。
諸行を無常と観すべし といったような意味。

 

   chickenも それ喰う者ももろともに

   如露亦如電応作如是観     -den-

悟った?鶏 宮嶋淳子作
ステンレスのカバ den作
 

 

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