良寛と遊ぶ

 

8月23日の午後 静岡へと向かう。
明日の約束を変更して静岡の作家さんと
夕方にお会いするアポをとった。
しかし、私は道に迷ってしまった。高速の入り口に行けないのだ。
そこらの地図は全国地図みたいな
ものしか持ち合わせがなく、勘たよりの進行で2度ほど来た道
を戻った。そんな私の動揺を妻は15分ほど観察してから、
いじわるそうに口をあける『なんで道を聞かないの?』
私の方はといえば、もうすぐそこに来ている確信がある。
『こんなところで道など聞けるものか』
私は「話を聞かない男 地図が読めない女」という
最近読んだ本のことを思い出す。
男女のあらゆるいさかいは、男性の脳と女性の脳が
根本的に違うからだ、というのがその本の要旨だ。
男性は太古より狩りに出かけるため、
空間把握能力にかけては、女性よりはるかに優れている。
一方女性は、身の回りのこまごまとしたこと
を同時にうまく、しかもおしゃべりしながらこなす事ができる。
男性にはそんな芸当はできない。男性は考えごとをするときは
他の事を一切放棄して黙りこくるのだ。このような差異は、本来的に
脳のできかたの違いによると、この本は説明する。

だから、運転していて男が道に迷ったカップルは、世界中で同じように、こんないざこざを経験するのである。
女性は、男性の優れた空間把握能力を信じていないから、すぐに人に
聞けと言う。そして、何やらぐちゃぐちゃと文句をいいながら
これからどうしようと考えているのだが、
男の方は頼むから、静かにしてもらいたいと思ってる。
今全力で謎解きをしてるのだから、と思っている。

私達夫婦も例にもれず、どっぷりとそのモデルになってしまった。
ようやく高速の入り口は見つかったが、
それから猛烈な言い合いの後、大きな漬物石のような
沈黙が車内を支配した。
10分もしてからか、妻が『ぶほっ』と吹き出す笑いで、
漬物石もまた吹き飛んでしまった。そういう妻の諦観めいた包容力
に私は救われている。しかし、妻と一緒に道に迷えば、また
必ずあの巨大な漬物石は、この車内に表れることだろう。

 男と女の間には 重くて大きな漬物石が潜んでいる

 


お勧めの本へ

 

さて静岡の陶芸家清水邦生さんと知子さんと
安倍川が近くのショップ(展示室)でお会いした。
そこは、知人から借りた旧民家で、とても趣きのある佇まいの中に
邦生さんと知子さんの作品が、展示されている。

邦生さんは、堂々とした風格のある茶陶と、漢字シリーズなどの
アーチスチィックな焼き物などで、個展中心の活動をされている。
奥様の知子さんは、邦生さんの影響をうけつつも、
日常的に使いやすい食器を中心に作陶されている。
このお二人のあいだには、重くて堅い漬物石は存在していないかのようだ才能と包容力あるご主人と、
ご主人を心から尊敬する明るいきれいな奥様との間には、
二人の愛情に育まれたこの日お誕生日だったお子さまが、
存在するだけで、漬物石はしっかり漬物樽の上に
鎮座していることだろう。

 

さて、焼き物はというと、やはりお二人の間に存在していた。
と言うのは、四日市の熊本さん、常滑の稲葉さんに、
親子間のしのぎあいの中にうまれる良き焼き物を見たが、
清水さん夫婦には、夫婦間の良い影響を感じたからだ。
具体的には、人を感動させるような焼き物を指向する邦生さんと、
優しい使いやすいうつわを指向する知子さんの間に、
矛盾しない良い結果が生み出されているようだ。

こんな例えは失礼かも知れないが、慈悲をもたない叡智は、ひとりよがりになりがちで、叡智のない慈悲は、浪花節的で陳腐なものになりがちだ。

そこでは、叡智と慈悲が溶けあって、よき焼き物となっている。
だから、邦生さんの作品も、知子さんの作品も、
作者を分ける事が無意味なことのようにも思われる。
知子さんの技術力を支えているのは、邦生さんで、
邦生さんの精神的ゆとりを支えているのは、知子さんなのだから。

 

親子からは、反発して生まれ、夫婦からは、溶けあって生まれるようだ。それは化学的な法則のように確かなことのように感じる。

 


安倍川近くの静かな旧家の
佇まいがSHOPになっている。


邦生さんの漢字シリーズ「炎」

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