良寛と遊ぶ 

次は古谷信夫さんの工房に伺う。
信楽で粉引といえば古谷さんをを思い浮かべる方が多いと
思います。白い器にこだわって、安価で味のある作品を
たくさん作っています。
いわば、計算された工場システムのなかで 独特の
作家性を保持し続ける希少な成功例と言えるかもしれません。

創造は、個人からしか生まれないと思っているのは、
幻想です。建築や映画がそうであるように
個性と個性の
ぶつかりあいや共感のなかでも生まれ、育ちます。
古谷さんの工房は、
創造が集団のなかでも育ちうるものだと教えてくれます。
運慶と呼ばれる作品が、必ずしも運慶その人の作品ではなく、
運慶弟子達の作品であることが証明されようと、
いささかも作品の格を落とすことはないのである。
作家主義がもてはやされるあまり、
創造性のある分業システムを否定する必要はない。
古谷さんは、大勢の従業員を抱える社長として、
たったひとつのうつわを見つめつづける陶芸家として
大変魅力のある方でした。

仕入れの事情に少し問題を生じたが、
素早い、適切な判断で、こちらの意向をのんで頂いた。
お人柄が察せられる、身のこなしに感服した。
長くおつき合いをさせて頂きたいものだ。


「制多迦童子像」金剛峯寺
(運慶作 鎌倉時代)


黄刷毛目土瓶花器
いわゆる粉引でなく、
刷毛目ものを中心に仕入れた。

 

 

信楽をあとに、四日市へと向かう。
伊賀の窯にも寄ってみたいと思っていたが、
時間の都合で通過した。
ほんとうに、信楽と伊賀はおとなり。
山をひとつ越えただけ。
しかし、土地の風情はかなり違う。
ゆっくり訪れてみたいものだ。

さて、四日市へと「ガンセキオープン」と呼んでる
愛車チェロキーは家族4人を乗せ、絶好調で走る。
四日市で会う予定の人達には
特別の思いが私と妻にはある。
毎日のように、インターネットを通じて話をする
人達だからだ。私は本格的にインターネットを始めて
わずか数カ月。しかし、いろいろ愉しい事、勉強になる事
辛い事、嬉しい事などをネットを通じて頂戴した。
ネットの可能性が非常に大きいことを再確認している。
お会いしたのは陶芸家 熊本栄司さんとそのご家族。
それに滋賀の杉本さん(陶芸全般に非常に詳しい)。
四日市のkuji~~さん(たまごとひよこの陶芸サイト主催者)。
いずれも陶芸好きの気持ちいい方々だ。
熊本さんのご自宅で、お食事をしながら愉しいひとときを
過ごさせていただいた。
これを、私は奇跡的な愉しさと表現してる。
なぜ、奇跡的かといえば、顔を見た事も無い数人が、
初めて出会ってあんなにすぐに大騒ぎで楽しめたことに、
強い『縁』を感じるからだ。
インターネットはいろいろな人とネット上で出会えるが、
この『縁』は、特別だという感じを強くもったのだ。
ネット上のやり取りは、真摯な会話の場合、
魂のダイアログに近いものではないかと思う。
しいては、魂はネットを越えて直接交流してるような
気がしてならない。通信媒体は、魂の流れの呼び水のように
作用してるように感じている。
たとえば、ある日、あるホームページにたまたま訪れる。
そこに何も感じなければ訪問者はすぐ出ていってしまうだろう。
なにか特別に感じるものがあると、
そのコンテンツとその制作者をもっともっと知りたくなる。
そのとき感じる何かが、『縁』であり、
魂の交流のはじめとなる。今そんな気がしてきている。

さて、陶芸家 熊本栄司さんの話をしよう。
熊本さんは、四日市の人気作家でお父様とともに
大きな工場のような工房で作陶している。
お父様は、たたら作りの量産品をつくり、
熊本さんは、関西を起点に個展中心の活動をされている。
熊本さんとお父様の作品は両極のようでいて、
技術やセンスは相互に影響してる。
むしろ、熊本さんの作品群が、二極に分けられる。
炭化の造形的作品と
金彩を中心とした絵付けの食器に、
熊本さん自身の二面性、両極が見えて興味深い。
超人気作家の滝口和男さんも、オブジェの作品と
てびねりの食器に、ものすごいギャップがあるのだが、
熊本さんの姿勢に滝口氏との共通点を以前から感じていた。
このような二面性は、表裏一体であるのだろう。
同じ心の違う見え方なのだ。
この二面を見ると、心象風景の立体感を改めて認識できるような
ミニ曼陀羅。もしくは
二枚の鏡を対峙させた時に見える無限連鎖。
そんなイメージがこの二つのタイプの作品群から
見え隠れする。

熊本さんのオブジェの代表作『世紀末の風景』を
工房の展示室でまじかに見てすぐさま、これは曼陀羅だと思った。
心の風景が全宇宙の風景の縮図であるような多重構造。
火の織り成す文様と
螺旋と螺旋が重なりあうような鎖の柱と
28本の柱が全体で織り成す三千大千世界と。
まさに「世紀末」曼陀羅。

また、極彩色の絵付けの食器も大変おもしろい。
この食器たちも、数客並べてみると曼陀羅を描く。
一客だと他の器を拒否しかねない主張の強い
うつわたちは、数客並べると、
それだけで世界が完結するような食卓をつくる。
名付けて、膳曼陀羅あるいは食卓曼陀羅

こんな世界観の構築をする熊本栄司という男は
かなり二枚目だ。(しかも奥様もたいへん美人!)
いわゆる陶芸家のイメージからほど遠い。
やはりアーチストという呼び方が、イメージに合う。
しかし親から受け継いだ陶工としての血は、
どこか突き抜けてしまわない優しさとなって
作品に表れている。私と同じ歳ということもあって
とても気の合う同志として
長くおつき合いさせてもらいたいと感じた。

また駆け参じていただいた杉本さん、kuji~~さんにも
そして、この場を演出してくれた熊本さんと奥様に
深く感謝の意を表したい。
「最高に楽しい時間をありがとう」

買い付け旅行の長い二日目がこうして終わった。

 

 

 

 

 

 

 


著名人もいるので画像を加工しました
熊本さんの奥様は映っていないが
かわいい奥様で、美男美女のご夫婦。


子供も仲良く意気投合!
右側二人が熊本家、
左側二人が悪ガキ!

 

 


三千大千世界は「みちあふち」と読む。
あざやかに曼陀羅を
歌う良寛の手元に手毬あり。
手毬曼陀羅とよぶべきか

良寛と遊ぶもくじへ戻る