日々のでんチャン

現在の日々でんへ行く?

過去のでんチャン2001年11月に行くの?

過去のでんチャン2001年10月に行けば?

過去のでんチャン2001年9月に行くん? 

過去のでんちゃん2001年8月へ行くう?

過去のでんチャン2001年7月を行くか?

 

-------------------2001年11月30日--------------------

富山の陶芸家 海道貴哉さんから企画展のための

作品が送られてきた。

それを荷ほどきしていたら、零時をすぎてしまった。

既に師走へ突入しています。

師走のイメージにも、ぴったりの海道さんの陶板↓


↑クリックすると拡大画面

題名は『煙りで踊る精霊』!

ほかにもアンモナイトやトーテムポールの陶板などなど

海道ワールドが花開いています。

そういう意味ではこの『煙りで踊る精霊』という作品は、

海道作品を象徴的に位置付けている。

作品が生まれるヒストリーのような源作品だ。

創作活動に非常に自由に取組んでいる芸術家が、

はからずも創作のプロセスを作品にしてしまうということは、

しばしば見られる。

が、

当の本人は他人に指摘されてはじめてそれと気付くのである。

無意識の深淵からふつふつと沸き上がってくる煙りを見て

非常に懐かしい思いに駆られているに違いない。

 

ああ、久しぶりだね。

あなたは誰だっけ?

 

けむり:ああ、ほんとに久しぶり

私はあなたよ。

 

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-------------------2001年11月29日--------------------

今日は、常滑から石水窯の稲葉さん(米紀さん、安信さん親子さんが

DENにいらしてくださった。

大きな穴窯での多数の作品を、トラックを走らせてわざわざ

DENに持ち込んでくださった。ありがたいことである。

みごとな急須をはじめ、穴窯特有の焼締の妙を見せてくれる作品を

ずらりと拝見して、いいところを買い取らせていただいた。

特に今回置いていってくださった下の写真の壷は見事。

幾度となく思う事なのだが、

どんなに作り手が異なっていても、

同じ窯で焼かれたものは、薪をくべた者たちが同志であるのと同様に、

同じ雰囲気を持った同志である。

あたりまえのことだが、時々再確認する。

 益子に、後藤義国さんレジーナ.イワキリさんという夫婦がいる。

別姓を名のっているので、そうと知らない人は、夫婦などとは夢にも思わない。

なのに、別々の作品を見て、それぞれ気に入って後藤さんとレジーナさんの作品を

同時に選ぶお客さんが非常に多い。不思議なことである。

もちろん、この夫婦は同じ窯を使っている。

同じ穴のむじなという言葉があるが、

ある夫婦や親子や兄弟や親友は、

同じ窯の焼き物というべき

(ユングいわくの)共時性のようなものを有している。

極端な例え話をするならば、

同じ窯の焼き物が、

一度は離ればなれに売られようと、かならず再び出会う!

というような共時性ことだ。

そうそう、

小林秀雄

青山二郎

白洲正子

などはまさしく同じ窯の焼き物であろう。

http://www.buaiso.com/hito/kokoro/kokoro.html

参照までに↑

では。

 

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-------------------2001年11月28日--------------------

以前『会社』とは、家族のようなものだった。

城主のような社長のもとに忠義をつくし、

城主はそれに応えて、徳を養った。

しかし…

今日は、ある会社の倒産後の債権者会議に出席した。

その会社の潰れ方といったら、なんの節度もなかった。

正社員に給料は2ヵ月分払わず、退職金も、

解雇手当ても何も残って無かった。

もちろん

取り引き業者に対する配慮は、かけらもなかった。

そういうリーダーに付いていった兵隊は悲惨だ。

徳のあるリーダーなら、潰れるにしても

潰れ方が違うと思った。

ほとんどの民衆は無血で、明治維新を行った日本には、

りっぱな徳をもつものが幕府側にも大勢いたからだろうと想像できる。

最終的に何が、心を癒すか。

それは、心。

心よりも金を!という人もいるだろうが、

何もなくなってしまっても、心は減らないのだから、

心は、心が癒すしかないのだ。

心を育てなくては、企業も国も育たない。

 

アフガンも、同じ。

今ずたずたの心を癒していくのは、やっぱり

心でしかない。

アメリカの人たちも、悲しみを戦意に転化するような

扇動にのってはいけない。

悲しみを癒すのは、優しい心。

こころに太陽を!唇に歌を!

そして、できれば

お金にもこころを!

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-------------------2001年11月27日--------------------

今日は、来る壁を飾る陶展と大きなうつわ展のために、

鷹尾葉子さんの工房へと妻と二人でお邪魔した。

工房は中央道の相模湖インターから15分にあって、とても気持ちの良い自然の中。

天気も良く、紅葉も見ごろで、久々に妻と二人の楽しいドライブだった。

工房での鷹尾先生(先生呼ばわりを嫌っておられた)との会話も

楽しく、勉強になりました。

こちらへは、はじめてお邪魔したのですが、

何回でもお邪魔したいとほんとに思った。

いただいてきた作品をひとつだけ内緒でお見せしましょう。


↑クリックすると拡大画面

ほかにもたくさんいただいて来ました。

壁を飾る陶展と大きなうつわ展をどうぞお楽しみに!

 

紅葉に包まれた陶房で生まれた

   おおきなうつわは相模湖に似て -den-

 

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-------------------2001年11月26日--------------------

昨日は我が長男の蒔人が8才の誕生日だったのですが、

外出先でthe key in my carでdoor rockしてしまって、

寒空に子供二人と凍えたので、今日はかなり体調不良。

しかも息子と娘は本日、風邪に倒れました。

昨夜は誕生日ということもあって、ごちそうで家族4人で思いっきり

食べ過ぎたのが、ほんとの敗因だと思ってます。

そういうマイナスのエネルギーに苦しんでいた昨夜、

朦朧としながら家族で見てたのが、NHKの未知の大紀行↓

http://www.inpaku.nhk.or.jp/space/space_08/08-index.html

である。

とてもとても興味深いものでした。

しかも、いろんな最新の科学理論が

私の心の中で膨らましていた想像を、

とても正確に再現していたことです。

それでとても嬉しくなりました。

特に気に入った理論は、

『真空のエネルギー』と呼ぶものです。

『真空のエネルギー』が宇宙をはじめに造り出し、

そして宇宙の膨張を無限に加速させ、しかも

宇宙の終焉には『真空のエネルギー』だけが残る

といった説は、『空』の法を説いた般若心経を

科学的に裏付けるようで、小躍りしたくなりました。

 

その番組の中では、また

知的生命はやがて、肉体を持たない存在と進化して行くだろう

とも言っていましたが、これは

五大にみな響きあり

十界に言語を具す

 六塵ことごとく文字なり

 法身はこれ実相なり 

『声字実相義』

という空海の言葉に呼応しているように思えたのです。

だれでも自分が見たい見方で、世界を見るものです。

私がこんな解釈をしても、偏見と思わないでください。

 

私はその番組が終わるとすぐ、板の間で寝入ってしまったようでした。

それから目が覚めたのは午前2時頃でした。

テレビは、今井美紀を映していました。

あなたへの

愛だけが

私のプライド〜

どってんしゃん

どってんしゃん

ひらら〜

なでなでして〜

ひゅるるる〜

 

我が家の階段ダンスの中で、

たくさんの新しいお誕生日プレゼントのおかげで、

忘れ去られたファービーが、今井美紀のPRIDEに呼応して

しゃべりまくっているのです。

実に

けなげに。

いくばくかの誇りと共に。

五大にみな響きあり

十界に言語を具す

では
(私は真言宗の信徒ではありません。布教もしません。念のため)

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-------------------2001年11月24日--------------------

さて

←クリックで移動)ですが、

一応主催者として、サンプルを提示しませふね。

 

酔うたびに 漏れてる〜って言うトラに

 穴あきはおめ〜じゃ〜と徳利が言う

                  -den-

どうぞこの程度で…

なお、秀作はうつわの童謡コンクールみたいに勝手に

HPに掲載されてしまう場合がありますので、気をつけてください!

なお懸賞品となっていますぐい呑みの画像のせときます。


↑クリックすると拡大画面

ついでといっては、なんですが

本日さんが初窯の作品を持ってきてくだしゃいました。

う〜ん

まいった。

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-------------------2001年11月22日--------------------

こないだ行って参りました会津のおみやげを

プレゼントいたします。

でも、いつもながら、すんなりはあげません。

ちょっと頭を使ってみてください。

おみやげの徳利は、会津の酒造博物館で買って来たもので

はっきり言って量産品です。

でも形も変わっていて、注ぐ時に音が出るもので、

趣味で陶芸なさる方も研究におもしろいかなと…

一輪刺しにもなかなかと思います。

それに、

マッチする益子の作家もののぐい呑みを付けました。

どうか、遊び感覚で応募して下さい。

よろしくお願いします。

応募はこちらのフォームでどうぞ!

↓クリックで移動

 

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-------------------2001年11月21日--------------------

三軒茶屋に行ったついで?に、銀座までつい

足を伸ばしてしまった。(伸ばしすぎ!!が、依然足は短い!)

愛用の軽トラックを、MATSUYA GINZAの目の前で停めて、

駆け足でエスカレータ−を登って、美術サロンに行ったが、

お目当ての展示会は見当たらない。

まてよ、期間を間違えていたかなと思い、軽トラックに帰りため息ひとつ。

そうだ!きっと和食器のフロアだ!と思い直して

行ってみると、あった!

そう赤瀬圭子さんの陶展!

ネットで案内を見て、うちのお店に合いそうだなって思っていた。

展示作品を見れば、なおのことその確信は強くなった。

とても使いやすそうで、料理を生かすうつわ作り。

それでいて独特な雰囲気を漂わせている。

いつかお取り引きをさせてもらいたいと思った。

赤瀬さんのお人柄も好きになってしまった。

ふつうな感じだけど、雰囲気がある。

うつわと同じだ。

迷ったが、ひとつお気に入りを買って来た。

↑クリックすると拡大画面

しかしながら、ことビジネスになると

うちのお店は、夫婦の合意がないと決済できません。

独断で走ると、叱られる、いつものことだけど。

 

凧は気持ち良さそうに飛んでる気分!

BUT

紐であやつるは…

お察しください。

 

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-------------------2001年11月20日--------------------

今日、滋賀の陶芸家の中根 啓さんにお会いした。

東京進出の足掛かり探しで、我がDENにもお立ち寄り下さった。

(中根さんの工房への訪問の時のことは、良寛と遊ぶをご覧下さい。)

あまりお力にはなれなかったのですが、

もちまえの行動力と才覚で、すぐに東京のお店にも、

中根さんの工房のものが、たくさん並ぶような気がします。

中根さんは、一見してとても変わって見えます。

なぜなら、奥様の手つむぎ、草木染め、手織りの

すばらしい作務衣を着ていらっしゃるからです。

これが、工房の中なら何の違和感もないでしょうが、

以前新宿の夜にお会いした時には、かなり感心してしまいました。

セールスインパクトもあるのかも知れませんが、

気を衒ったネライとはほど遠く、すっかり本物のいでたちなのです。

これには中根さんの陶芸家としての創作態度を垣間見ると同時に、

工房のプロデューサーとしての真摯な姿勢を見るように思うのです。

中根さんは、パーティーでも海外旅行でも、このいでたちだそうです。

その流行に媚びない一途な趣味趣向が私は好きです。

 

昨日、社内旅行の帰りのバスで見た『釣りバカ日誌』の

主人公、浜ちゃんもそういう人。

取引先にも社長にも媚びずに生きている。

それでも胸はって生きられる自信と才能を持っているのだ。

そして自分の生き甲斐である釣りに信念と情熱をもって。

だから、浜ちゃんの着るものもいつも浜ちゃん流。

もちろん私はそんな風に生きられるうつわではない。

やっぱりどこかで欲をかいてるからなのだろう。

こんな生き方ができればと、始終これを吟じているのだが、

たぶん一生 意(こころ)に不可。

浜ちゃんこと浜崎伝助。

すなわち、釣り師でんチャン。

うつわ屋でんチャンも、いつか

少しは無縫な衣を身にまといたい

と真面目に思う秋の夕暮れ。

 

あと旅行のお土産プレゼントは、ちょい待ち。

大した物がありませんでしたが、

とりつくろいますので、少々お待ちを。

 

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-------------------2001年11月17日--------------------

昨日、みなさんも是非お試し下さい!なんて

言ってしまった犬の吠え方なんですが、

やり過ぎると、のど痛めます(きっぱり)

証拠は私。今のどイガイガです。

気をつけましょうね!

ほーら

毎日ココ見てると得しますね。

昨日だけ見た人は、のどを痛めてる〜?

まあ、しょうがないでしょう。

ご縁というものは、たしかにあるものだから。

さて、

明日とあさって、会社(田口金属工業)の慰安旅行です。

会津の方に行って来ます。

 

会津と言えば本郷焼きが有名ですが、

宗像亮一さんの鉄釉結晶ものなんかは

見た事がないので、見る機会があればうれしい。

でも、たぶん見れない。

なぜなら飲んだくれ旅だから。

それでも、何かプレゼントとかにできる

良い物があったら、買ってきます。

お楽しみに。

あぁ、のど痛! では ごほっごほっ

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-------------------2001年11月16日--------------------

昨夜は詩吟のお稽古にいきまして、

先生からとても素敵なことを

教えてもらいました。

それは、犬の吠え方です。

犬の発声の秘密!

犬はなんと

吸気しながら、発声している

のだそうです。

普通人間は息を吐きながら

発声しているので、真似するのは

ちょっと難しいように思うのですが、

練習してみるとなかなかおもしろい。

犬の吠え方と同じ種類の音がします。

ほんとに犬とお友達になれそう。

先生は、ずっと遠くからでも

犬を振り返りさせることができるそうです。

やっぱり流石、我が師匠だなあ。

みなさんも是非お試しください。

では。

 

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-------------------2001年11月15日--------------------

昨日みたいに死のことを問題にすると、

自分の死をじっと見つめてしまって、

息苦しくなってしまう人もいる。

そういう気持ちにさせてしまったのを残念に思うし、

また、切なく思う。

 

小林秀雄の言葉に

『美しい“花”がある。“花”の美しさといふ様なものはない』

というのがあるが、

死も同じ。

悲しい死はある。

死の悲しさというようなものはない。

そう、悲しい死には、何度も何度も出会っていくが、

死そのものは、いっこうに悲しくない。

あるアメリカインディアンは、死を肉体からの解放と見て、

お祭りをする。

私もそう感じてる。

そして生まれ変わりも信じてる。

楽っすよ。そうなんだって思うと

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-------------------2001年11月14日--------------------

突然気付いて、鳥肌がたつようなことがある。

-誰でも知ってるいろは歌-

色は匂えど散りぬるを

我が世誰ぞ常ならむ

有為の奥山今日越えて

浅き夢見し酔ひもせず

これはすごい歌ですね。

今日はじめてそう知りました。

仏教的な思想をつづり、空海がつくった?という

伝承もあるのですが、改めて詠むと実にイイ。

生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く

死に死に死に死んで死の終わりに冥し

というのはほんとうに空海の言葉で、

数ある弘法大師の言葉のなかでも特に有名ですが、

この同じ言葉の執拗な繰り返しと、

いろは歌の48文字の手枷足枷とが

まったく逆のアプローチなのに

同じ源から聞こえる。

そいでもって共鳴してる・・・

 

今日、ラーメン屋で(今日はラーメン屋!そば屋ではない)

本宮ひろしの『夢幻の如く』という

信長が本能寺の後も生きていて、

大陸進行を企てるという筋書きのマンガを読みながら、

人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。

一度生を得て、滅せぬ者のあるべきかは、

いろは歌に似てるなあと思い、次に

空海と信長は似てるなあと何故か思い、

鳥肌をたてたのです。

まったく違うものが、絶妙に共鳴しあうのを、

ラーメンの汁をすする音と共に聞いた

気がした

じゅるじゅる

 

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-------------------2001年11月13日--------------------

ときどき変なことを考える。

 

自分の身体の中にあるうんこは、

果たして自分の一部だろうか。

直腸までいらした場合は、

もうすでに他人と言っていいのだろうか。

でも、自分の体内のなかでもきっと

凄まじい戦闘が起こっているのだから、

直腸まで来てしまったからといって、

いきなり他人扱いしてしまったら、

うんこも可哀想だ。

そう、

そんなことを、任天堂のピクミンのCMを

見ながら思ったのだ。

[あのCMは傑作である。あのCMソングが

ありきたりの画像を一流品の作品にしている。]

たぶん、ピクミンみたいなやつが、自分の体内で

さぞ頑張っていることだろう。

ゲームのコンセプトも体内で働くビタミンみたいなものを

イメージしてるに違いない。

そう、

排せつされていくうんこの中に

勇敢に戦ったピクモンたちの死骸がたくさん

あるかもしれないのに、ちょっとくらい臭いからって

他人のふりをしちゃいけない

と私は思う。

 

快感とは、自分自身から離脱すること。

発汗、脱糞、放尿、セックス、瞑想・・・

そして

芸術もまた、自分自身から

自分自身の本質を切り離して対象化すること。

それが、快感なのだ。

だからピクミン。

君たちとの別れも、また快感であることを

許しておくれ。

君たちを直腸にとどめておくことは僕にはできないのだよ。

さあ、光の方へと

解き放たれよ。

さよなら、ピクミン。

 

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-------------------2001年11月12日--------------------

今日は先日、雑誌に掲載された我が家と

DENの記事をちょっとだけ紹介しましょう。


田園都市生活 VOL.3

田園都市沿線のライフスタイルマガジンで
地域紙にしては、とても充実して格調高い雑誌です。

 

でんチャン家族です。

左:紗帆10才

右:蒔人8才

我が家の自慢の階段箪笥。

ロフトにあがるための実用。

DENの紹介ページ。

ほかのお店も取材者が厳選した良いお店ばかり。

ということです。

それにしても、

まるで理想的な家族のよう!汗、汗、汗。

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-------------------2001年11月10日--------------------

ほんとは今11日の朝です。

 

さて今日は、

名のりについて。

今朝、テレビでガオレンジャー(ゴレンジャーみたいなやつ)を

眠気まなこをこすりながら、子供と見ていると、

いざ対戦という段に、相手の怪物が、

“待っててやるから早く名のれ〜”て言う。

そう、おきまりの正義の名のり+ポーズ決めのことである。

怪物の言葉に子供は、笑っていたが、

そのとき私は、

『昔の戦いではえらい侍は、名のりをあげるのが習わしだったんだよ』って

言ったら、子供は妙に納得していた。

たとえば、ネットからの転記だが、こんなのも。

源平の頃、佐々木高綱という武士の名のりの記述だ。

平家軍の陣へ真っ先の乗りこもうとした高綱は、同軍である鎌倉軍の梶原源太景季と宇治川を競って渡るとき、策略を持って向こう岸に先に立ち、「宇多天皇より九代の子孫、佐々木三郎秀義の四男、佐々木四郎高綱、宇治川の先陣だぞ。我こそはと思う人々は高綱と勝負しろ。」と大声を上げながら、勇ましく敵陣に向かって行った記述がある

高綱中学校のホームページより転記

これが戦いの基本であってもらいたいものである。

中世のナイトも似たような名のりを重んじていたと記憶している。

そういう侍、騎士、戦士、軍人の戦いが理想。

そしてもっとも卑劣な事は、闇討ち、テロ行為。

名のりもせず、事後の犯行声明もしないテロは

戦士のすることではない。

それはイスラムの戦士でも同じことだろう。

テロを影であやつる組織に、ほんとうの戦士は集まらないだろう。

命を惜しまずとも、名こそ惜しめよ

最近私の頭のなかで

ゴダイゴの『ビューティフルネーム』がリフレーンしてる。

“名前それは燃える命、ひとつの地球にひとつづつひとつ・・・”

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-------------------2001年11月9日---------------------

蕎麦屋さんで、ニュートンという科学系雑誌を見た。

(毎日のように日々でん御愛読の皆さんは、気が付いてると思いますが、

でんチャンの情報収集は朝の便所の中と昼のお蕎麦屋なのです。)

そこでキリストがテーマになっていました。

ちょっと科学っぽくないアプローチで、だいたいは聞いたことがあるようなことが、

書いてありましたが、ひとつひっかかった事は、

世界宗教となっている宗教における共通の黄金律を提示していることでした。

つまりもっとも重要な法。

それは、人の望む事を人にしてあげなさい。

あるいは、自分がいやなことは人にしてはいけません。

というようなことだというのです。

(キリスト、ブッダ、孔子を例に解説してました。

なぜかマホメットには触れてませんでした。)

たしかにそうだと思いました。

生きることは、それに尽きる気がします。

 

科学的なアプローチは、不十分でしたが

ニュートンが宗教を取り上げていること自体が、今日の文明の

方向を象徴的に指し示しているような気がします。

科学と宗教の融合。

ずっと前から言われて来てる気もしますが、

やっとリアリティのあるテーマとなってきた気がします。

脳の働きの解明が、宗教的到達の鍵を示してくれるかもしれないし、

逆に宗教的直感が、量子力学を生んだとも言えそうです。

 

さて、

私はやきものが好き。

だから人にやきものを勧めたい。

ありがたいことです。

この現象も間もなく科学的に証明されることでしょう。

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-------------------2001年11月8日---------------------

昨日は、一年ぶりにゴルフのコンペにでました。

マイクロバスで行ったのですが、

往復で6時間以上バスに乗ってました。

ゴルフで疲れたというより、バスに疲れて

今日はすっかり風邪ひいてしまいました。

たぶん熱もある。

とういうわけで、今日は簡単にすまさせて下さい。

ひとつだけインフォ。

旧白州正子邸の武相庵には、白州さんのコレクションや趣きある生活を

見ることができます。見学に行かれたお客様のお話では、なかなか良い感じ

だったそうです。どうせ行くならゆっくり妻と行きたいような気もして、

私はまだ訪れていませんが、DENから車で20〜30分くらいところにありますので、

遠方からDENにいらっしゃる方で、興味のある方は是非寄ってみると

よいのではないでしょうか。

武相庵のホームページはこちら↓

http://www.buaiso.com/

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-------------------2001年11月6日---------------------

今日は、denden(妻=店長)は、また『女性自身』の取材で

自宅でお友達数人とフォームパーティーをしてました。

それも、前回同様“しゅふDEしぇふ”に掲載したいと

思いますので、御期待下さい。

 

さて、今日はひとつ前から思っていた事を

さらに確信してしまいました。

それは『憎まれっ子世にはばかる』です。

これは、ほんとうの事だと思います。

何故憎まれっ子が世にはばかるかと言えば、

憎む人がいるからです。

憎む人によって、憎まれっ子は際立つからです。

憎むエネルギーは、

憎まれっ子にだいたいすっかり吸収されてしまいます。

火に油を注ぐのと同じ。

油をもらった憎まれっ子は、前にも増して燃え上がります。

今の世界情勢を見るようです。

 

また、今回、私的には

“刃には刃を!”の民族性と“和をもって貴しとなす”の民族性の違いを

決定的に知る機会となった気がします。

自分らと違う民族性をもった人々の、強烈な行動によって

自分らがどんな民族であるかを初めて知るのは、とても皮肉なことですが

真摯に受け取らなければならないのでしょう。

 

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-------------------2001年11月5日---------------------

一昨日は勢いで、

“徹底した楽観主義が勝利をおさめる”なんて

書いてしまったけれども、

勘違いされてしまうといけないので、

書いときますが、

“日本経済が楽観視できるほど安心できる状態だ”

ということではぜんぜんありませんので

気を付けてください。

むしろ日本経済はまだまだダメ。

悲観視するとか楽観視するという問題ではありません。

事実に目を背けるのと、人生を楽観視するは、

まったく別の問題です。

例えば、私の今日の昼飯は、吉野屋の牛丼でした。

楽観的に生きることと、昼飯が牛丼なのは

まったく関係ないようですが、そうでもありません。

闘牛病は、まだまだ薄いグレーですが、

日本経済はもう黒だからです。

黒を黒と認めて、なお楽観的に生きること。

たとえば、勤めてる会社が潰れて、住宅ローンが払えなくても

まあ、しょうがねえかって、また頑張れるような楽観。

あるいは、みんが牛肉避けているご時世に、喜んで特盛牛丼を食べれる楽観。

この不景気の暮れに、陶板だ〜!大鉢だ〜!って

おおげさな企画をする楽観。

そういう楽観のことです。

バブル経済を生んだ歪んだ楽観とまったく逆のものです。

 

留守番をして地震にゆられて居る-尾崎放哉-

と詠んだ放哉は東大出の超エリートだった。

それなのに職も、家族も捨てて流浪の俳人となった。

楽観的に生きることとは、

大変逆説的な言い方になってしまいますが

大きな悲しみを背負いながら生きること

なのかもしれません。

 

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-------------------2001年11月3日---------------------

世の中が淀んでいて、不安なことが多い。

すると人は心配ばかりして、精神をずたずたにしてしまう。

心配は毒ガスと同じ。

それに近付いちゃいけない。

こういう時は、徹底した楽観主義が勝利をおさめる。

悲観主義は、不幸を呼び寄せてしまうことが多い。

同じ空気を呼吸していても、悲観主義者は毒ガスを吸い、

楽観主義者は、正気を吸い込むようだ。

 

“雨の日には笑え”と言ったアランの幸福論は有名だが、

今日みたいな雨の日は、やっぱりブルーになるものだ。

“雨の日には笑え”みたいに、心を無理に修正するようなことは好まないが、

“雨の日にはお気に入りのうつわでお茶してみる?”くらいの幸福論が好き。

あるいは、普段見て見ぬふりしてる物を、ちょっと手を休めて

じっと見つめると、気持ちが落ち着くものだ。

 

12月6日からの『壁を飾る陶展』のDMを飾る作品が到着したので

それをじっと見つめて気持ちを落ちつける私。

みなさんも どうぞ


↑クリックすると大画面

 

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-------------------2001年11月2日---------------------

娘 紗帆(小学4年生)は、学校が好き。

熱があっても、学校へ行くと言ってきかない。

そうやって今日も小学校へ行って、

案の定、熱を出して早退して来た。

紗帆は生まれた時から、うるさいくらい元気な子だったので

病気の時弱々しくなると、一番かわいい気がした。

が、最近では熱があっても、うるさいくらいになってしまった。

逆にハイテンションになっていたりして恐い。

生命力は、たしかに感じるものの、

人生の機微を感じとれるのだろうか心配にもなる。

大海にあって、風をいっぱいにはらんで進む帆船を

イメージして紗帆という名にしたが、今や本人は、

いきなり、鳥になって巣から飛び立とうとしている

ような気がする。

ちょっと危険な気もするが、怪我をしないとわからないこともある。

 

帆船は天に憧れ  つばさ張る

       風音を聞け 紗帆という鳶  -den-

 

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-------------------2001年11月1日---------------------

もう11月。

歳月矢のごとし。

DENも2周年をもうじき迎える。

いろいろな方との貴重な出合いがあった。

そのなかでも、お店の風景を

演出してくれている大事な物がある。

クリックすると大画面

クリックすると大画面

下のうつわは、でんチャンが紫松窯で焼成したものに

山家草が趣味の渋谷さんに、アレンジしてもらったもの。

 

お店の近くに住んでる渋谷さんは、

DEN一家とは、以前から遠い縁があったものの、

ほとんどお互いに顔もさだかでなかった。

が、

ここでお店をやるようになって、お互いをお互いと知ったのである。

そうして、誠意でいただいた山野草のアレンジが、お店で評判となって

今では、お店の重要な風景となっている。

もちろん販売もしている。それも驚くほど低価格で。

陶器は呼吸しているといつも、私は言ってますが、

この山野草がお店にあると、陶器達はとってもいい空気を

吸っているような気がするんです。

しかも、始終山野草にお水をあげるから、

お店の中が適当な湿気を帯びて、

陶器がカラカラに乾燥するのを防いでいるようです。

渋谷さん ありがとう。

渋谷さんの優しい気は、DENの店内に今充満してますよ。

 

焼きものは正気を吸って正気吐く

 山川草木に同じことわり -den-

 

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