2002年3月
日々のでんチャン

-------------------2002年3月31日--------------------

玉もし磨かざれば、

なんぞ光をはなたん

人も同じく学ばざれば

徳、なんぞ顕われん

 

ってわけで

明日から新学期、新営業期の方も多いのでしょう。

襟を正して、さらなる勉学に励みましょう!

おめーが、正せよって声が、遥か後方から、

聞こえますが、軽く聞き流すでんチャンは、

日々うつわを磨いてますが、

徳はすり減らしております。

では

 

-------------------2002年3月28日--------------------

陶芸チャリティ展示会の箸置きがぞくぞく集まっております。

でっかいのやら、

かわいいのやら、

箸のんないのやら、

シンプルなのも、

とにかく楽しい感じになりそうです。

私もぎりぎり間に合うように、

出品すべく、明日あたり焼成したいと思っております。

 

さて、

今日、さくらの咲く小道を通りかかったとき、

ある発見をしてうれしい気分になりました。

大きな桜の木の、地面に近い太い幹の、

堅くなって死んでるような表皮から、

ちっちゃな柔らかい芽がふいて、

花を咲かせているのが、

とってもかわいらしくて…

人間も歳とって表面はカラカラになろうとも、

内面は、みずみずしく生きることができる。

そんなメッセージのような気がしました。

 

 

-------------------2002年3月25日--------------------

昨晩は、知ってるつもりの最終回でイエス キリストがテーマだった。

そこで改めてイエスの偉大さを知ったような気がする。

その要点は、当時ユダヤ教が蔑んでいた穢れた者を

イエスは愛して、救いの手を差し伸べたということだ。

その例で、姦通した女を救ったくだりが紹介された。

当時姦通は死罪だったので、今にも女を殺そうとする者たちに

イエスはこう言ったという。

では、今までに一度も罪を犯したことがない者が、

最初にこの女を刺すがいい。

よくぞ言ったぞイエス様、お釈迦様!

 

私はこのとき、辻元議員の鈴木宗男氏に対する発言を、ふと思った。

辻元さん、あなたは罪を犯したことがないのですか?

そんなことを思わせるほど鈴木宗男氏に対する発言は、

礼節のないものだった。言葉で人を刺していた。

たとえ罪を犯してしまった者に対しても、

礼節をわきまえなくては、いけないと思うのです。

かりにも、功績もある年長の議員なのだから。

善人なおもって往生をとぐ。いわんや悪人をや なのだから。

罪を憎んで人を憎まず なのだから。

残念ながら、辻元さんの今回の秘書給与ピンハネ疑惑は、

そういう意味で、身から出た錆のような気がする。

ここのところ、田中元外相といい、世の中全般にちょっと女性の方が

礼節をわきまえていないような気がする。

この世の中、ホントのことでも人前で言ってはいけないこともあるし、

ウソも方便ってことだってあるはず。

多くの人が喜ぶ言葉だとしても、

人道から外れた言葉を人前で発するのは罪だと思う。

 

-------------------2002年3月23日--------------------

今日も雨が降って、さくらはかわいそうでしたが、

降る前にざっとデジカメ撮影してきました。

お休みの日では、明日が最後の見ごろとなるでしょう。

『DENへとむかうさくら道』の散歩はいかがでしょうか。

          ↑クリックすると拡大画面

 

さて

中国・唐の詩人、于武陵の『酒を勧む』という作品より

花發多風雨

人生足別離

この漢詩を井伏鱒二は、

花に嵐のたとえもあるさ

さよならだけが人生だ

と訳して有名ですが、これが漢詩の訳とはみんな知らないだろう。

漢詩の花は、どんな花をさしているのかは知らないが、

鱒二の詩の花は、日本人ならを十中八九イメージする。

この数日のように、強い風に散る桜ふぶきのなか、

別れがたい人との別れを生きる。

入学式の桜もいいが、卒業式の桜も感慨深いものがある。

 

桜散る日にあの人の湯飲み割り

何度目かのさよならをいう -den

 

 

 

-------------------2002年3月22日--------------------

二三日前の新聞に書いてあった。

BCGの接種が幼児期の一回のみになるような動きがあるらしい。

小学生の低学年で受けた接種を私達の同世代は皆覚えているはずだし、

たいてい左腕にBCGの接種跡が残っている。

私も確実に残っていて、一部はケロイド化している。

きっと痒くて掻きむしってしまったのだろう。

妻のdendenも大きく化膿してしまった跡が残っている。

現代の医学的には幼児期の接種以外は、効力が認められないようである。

ということは、このケロイドは何の意味もなかったのでしょうか。

そうでもないような気がします。

このBCG跡は、人間や生物が生き抜く為の戦いの縮図を

見せてくれてたように思います。

なんの説明もなく、訳わからないものを腕に押し付けられ、

数日すると恐ろしく痒くなり、膿が出たり腫れたりする。

やがてカサブタができ、治る?

小学低学年には、なんのコッチャこりゃ!って感じなわけです。

ですが、理解力が育っていくうちに、ワクチンの効用なんかを

理解していくわけです。そして感染と予防接種が、レベル差こそあれ

同じ反応によって起こるのを知っていくわけです。それも毎日のように

BCG跡を見ながら、実感するわけです。

“清潔にして病原菌を避けることでは、人間のからだは強化されない”

ということを実感する契機だったように思うのです。

飛躍して言えば、

ほんとうに強い人は、土に混じり、泥に汚れて修羅場を生きて来た者。

多くの病原菌と戦ってきたもの、あるいは病原菌と共生できるもの、

そういう人間ほど強いのではなかろうか。

レイモンド・チャンドラーが言った言葉らしいが、

「強くなければ優しくなれない」とすれば、

無菌状態で育ってきたものは、優しくもなれない

ということになるかもしれない。

 

今の小学生は、無菌状態に近くはないかと思う。

愛する子供達に、心のBCGを接種させること。

それは大事なことかもしれません。

戦争の話などは、ぼくらはよく聞かされた。

おぞましいことも、時に子供に聞かせてあげなければ、

テレビゲームに洗脳された脳は、痛くない戦闘を

楽しみ、現実化してしまうことだってある。

そうしたら、一番先に死ぬのは無菌の人。

 

詩人 中原中也は、30才で結核で死んだ。

中也の父は軍医を経て開業医、母の家系は毛利元就に仕えた家柄。

何不自由ない環境だったが、結婚後7年目の子だったためか溺愛され、

父は水泳も禁じるというほど大事に育てたという。

中也の異常なまでの繊細さ、異常なまでの傷付きやすさは、

少年時代のこの無菌状態に由来するのかもしれない。

 

小学生のBCG接種はなくなっても、

少年に心のBCG接種を!!

 

-------------------2002年3月20日--------------------

昨日紹介しました“みるくるナビ”なんですが、うまくアクセスできません。

縁がないってことかぁ?アクセスできた方は教えてくださいね。

 

さて、最近思います。

陶芸教室ってなんでしょう?

国会って何でしょう?

土でできたタコは嫌いですか?


かまきりってオカマの敵?味方?

おぬし何者?酒呑みでしょ!

↑クリックせよー!坂口健作ぐい呑みじゃん

 

ぼくパブーくん!(くまさん書 そらさん所有 DEN蔵)




旬っておれのこと?

しゅん(涙)…

 

 

-------------------2002年3月19日--------------------

桜も咲きはじめて、すっかり春めいてきました。

陶芸の展示会もたくさんやっています。

行きたいものもたくさんありますが、

なかなか雑用に追われていけません。

私がどうしても行きたくなるような展示会は、

コメントや写真に何か特別なものを感じるとき、

出会いの予感を感じるときです。

半分くらいの確率でその陶芸家とおつき合いするようになります。

逆にいえば、もう半分の陶芸家には二度と会わない。

予感がはずれた時は、がっかりしますが、

縁がなかったものときっぱり諦めます。

そういうことが、いまや陶器屋の大事な仕事と思っています。

今、三人展をやっていますが、陶芸家とお客さんが直接

打ち解けて話をして、お客様や陶芸家がとても幸せな気分に

なるときがあります。そんな時は陶器屋名利に尽きるわけです。

単にいいものを売ることでなく、よい縁を結んでいくことが、

陶器屋の仕事だと心得ています。

たとえばネットも出逢いの泉です。

こんなメディアがDENを取り上げてくれたのも

このホームページのおかげ。このみるくるナビって無料配付のタウン誌だが

結構内容が充実していて、今回(3/20刊行)は横浜版で

『JAPANESE BEAUTY?』って特集のトップに

DENの取材を載せてくれている。この雑誌の面白いのは、

EZwebやimode携帯のナビシステムと連携していること。

EZwebの拡大をめざす東芝がスポンサーのようだ。

雑誌に掲載されたナンバーコードを携帯に入力すると

マップが表示されるというのが主なメリットのようだ。

EZwebやimode携帯で みるくるナビ http://milkl.com/i/

から入って、地域は横浜を選択して、みるくるコード5100を入れると

DENの情報が見れるらしいが、3/20が切換え日なので

今日は見れないようだ。残念。

世の中どんどん変わっていくが、根本的に世の中を動かしていくのは

人と人の出逢い。人とものとの出逢いなのだろう。

しかし出逢いのチャンスが氾濫してるだけに、それをグッと自分に

惹き付けていくのは、第六感みたいなものに頼るしかない。

第六感を鍛えるには、欲得を捨てること!

今回の三人展のひとり、坂口 健さんがホームページを開設した。

ずいぶんとあわてて作ったようだが、彼の才能がにじみ出ている。

たぶんトップページのイラストを見て逃げる方もいるだろう。

一方、独特のイラストに 何か予感を感じる人もいるだろう。

既成の概念に縛られてはいけない。第六感でいこう!

 

 

 

-------------------2002年3月16日--------------------

ムネオさんは、離党されまして、それなりに自分で決着を

付けたのはえらいと思います。

前回、ムネオさんは樋にかけてみましたが、

ムネオさんはたぶんダメな樋

ではなかったと思われます。

むしろ仕事をよくする樋だったのでしょう。

仕事をよくするから、無理も生じ、

埃やゴミもいっぱい抱えてしまった。

そんな気がします。

少し前の時代(田中角栄まで)には、そんな

政治家はいっぱいいたし、そういう政治家が、

むしろ求められていたのです。

でも、今となっては汚れてゴミをいっぱい抱えた樋にすぎません。

まさに今、きれいな樋に掛け直す時期です。

ムネオさんばかりでなく、旧態然とした政治家は

掛け替えの時期を過ってはいけません。

でも、ほんとうは政治家自身が、己の引退を決するべきです。

新しい日本のために。ごくろうさまと言って送り出したい。

老兵は死なず、ただ立ち去るのみ。

であってもらいたいものだ。

 

-------------------2002年3月14日--------------------

本日は、2002春の三人展初日でしたが、まずまず順調な

滑り出しだったようです。

私はというと、お店には行けず、

雨樋の取り替え工事をしていました。

それで今、花粉症のすごい症状に参っています。

古い樋は、木の葉や花粉の宝庫になっているからです。

樋の復旧をやった日はきまって、夜花粉症で苦しみます。

 

さて、樋も言ってみればうつわの一種でしょ。

うつわは、不必要なものも一緒に

受け入れてしまい、悪い結果をもたらす場合が多々あります。

 

ムネオさんなんかは、右手で刀を振り回し、

左手は静かにうつわを持っていて、

人は恐いから、それに金を入れるわけです。

これを世間では収賄といいますが、

ムネオさんは、

左手はただうつわを持っていただけだ!

少しも動かさなかった!と言う。

 

工事する人は、花粉症でかなり苦しまなければいけないけど、

(工事人ばかりでなく、隣近所にも長年積もった埃が飛散しますが)

日本の政界も、ぐるっと屋根まわりぜ〜んぶ

樋のかけ替えをしなくてはいけないようです。

 

 

-------------------2002年3月13日--------------------

本日は、来る4月11日〜4月29日のチャリティ陶芸展示会

同時開催します『9人の女流作家による植木鉢展』のご案内はがきの

ための撮影をしました。山野草アレンジ協力の渋谷さん、DMレイアウト担当の

そらさんにお手伝いいただき、無事撮影できました。


(↑クリックすると拡大画面)

てなことで、チャリティの箸置き展ともども、

十分お楽しみいただけるかと自負しております。

 

-------------------2002年3月9日--------------------

3日ぶりに、お店に向かう途中、

何を書こうかと考えていると

なぜかこのカップが思い浮かぶ。

わざと欠けをつくったカップで、

静岡の清水知子さんの作品だ。

一年前の陶芸チャリティ展示会に出品してくださったのと

同じシリーズのうつわだ。よくお客さんの目にとまる品ではあるが、

買われることなく、話題提供の役を演じている。

チャリティの時の知子さんのコメントは

みんな、どこかが欠けている。

だけどちからをあわせたら…

『二人のうつわ』というテーマにぴったりの素晴しい作品だと思う。

欠けてるところを補って、よりそいあって、

いっそう愛が深まるものことがある。

いやむしろ、そうやって悲しみを共有することこそ愛。

私も最近そう思う。

さて、

欠けたカップと同時に浮かんだのは、下の中原中也の詩。

彼のこの詩は、悲しみを共有する者の不在に満ちている。

が、すくなくとも

大きく欠けてしまって、さらにまっぷたつに割れてしまった大きな愛は、

たしかに、しっかりと存在しているように思える。

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪のふりかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむことなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたいしくも怖気づき
よごれつまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる・・・・・

欠けてしまったうつわの中に
今日も茶を汲みすするのさ
欠けてしまったうつわの中に
自分を映してすするのさ…  -den-

-------------------2002年3月6日--------------------

約9日ぶりに、お店のPCの前に座っている。

午後10時48分だ。

私の本業は金属加工、工事業。

もちろん陶器屋も本業なのだが、収益のバランス的には

圧倒的に前者なのである。

それで、ずいぶんと忙しくて、身体と心に余裕がなかった。

なんとなく不幸な気分の数日間であった。

 

私の信頼するの宗教家によると、

人間は宇宙のリズムに合致していないとき、不幸を感じる。

逆に宇宙のリズムにあっている時は、幸せを感じる。

らしい。

私はどうもこの数日間、宇宙のリズムに自分のリズムが

合っていなかった。廻りに振り回されていたのだ。

工事金額や工期に非常に無理があって、気が滅入っていた。

そういう時でも、なんとなく楽観的に過ごせる時もあるものだが、

なるほど今回は、宇宙的な波長に、自分の波長がまったく合わず、

不調和音を出していたようだ。

それで、はかどらない仕事に深夜まで身と心をすり減らしていた。

ところが、二日前、何かもやめて午後9時に早寝を決め込んだ。

翌日、午前4時から起きだして、早朝の仕事に切替えたら、

リズムが変わった。

 

どうやら、そういうものらしい。

そう教えてくれたのは、今回も亡き母である。

『あんまり無理しないで早く寝なさい』と言って先に寝た母は、

次の朝起きなかった。

時々、この母の最後の言葉を思い出すのだ。

そうすると、不調和音のなかに、ある旋律が聞こえてくるような…

 

現在の日々でんへ行く?

過去のでんチャン2002年2月に行かない?

過去のでんチャン2002年1月に行くん?

過去のでんチャン2001年12月に行く?

過去のでんチャン2001年11月に行くの?

過去のでんチャン2001年10月に行けば?

過去のでんチャン2001年9月に行くん? 

過去のでんちゃん2001年8月へ行くう?

過去のでんチャン2001年7月を行くか?