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現在の日々でんへ行く

抹茶碗 でインスタントスープ    2005年11月15日

昼に自宅に帰ってきて、
弁当を食べたが、あんまり寒気がするので、
お湯を沸かして、インスタントスープを飲むことにした。

いつもはマグカップを使うのだが、今日は気分を変えて
抹茶碗でいただく。
 
  望月明日太作 緑釉碗
濃い緑の碗に黄色いスープがきれい。
包み込むように両手で持ち上げると、にわかに心が澄む
ような気がしてくる。


陶器市をはずして 収穫     2005年11月8日

どうしても、見てみたい作家の作品があったので、
昨日、益子、笠間方面に妻(店長denden)と行ってきた。
これがまず第一の収穫。

↑クリックすると大きな画面が出ます。

これっぽっちとお思いでしょうが、
かなりの収穫を実感しています。

私は作家を選ぶとき、その作品からでないときがあります。
その作品を一度も手にした事がないのに、その作家に
会いたくなってしまうことがあるんです。
それは、ネット上の作品の画像だったり、作家の経歴だったり
作家の信条を記したコメントだったり いろいろなのですが、
それがけっこう功を奏す場合が多いのです。

陶芸はほんとうに、全人格的な芸です。
毎日の生活や、住んでる場所や、
その人がどういう生き方をしてきたかなどが
作品にとても反映します。
だから、作品を手にしなくても、作品が見えてくることがあるんです。

上の作品を作ってる人は戸田浩二という青年です。
彼は伊藤東彦という色絵の巨匠に4年師事して、独立後
なぜか穴窯を作って、以後4年間薪焼成をしています。
師匠はたしか電気窯だったはず。
成形に関しても、ろくろ成形後に、けずりによる緻密な成形。
これも、布目のたたら成形中心の師匠の技法の正反対に思えます。
しかもこの人 大学は筑波大学体育専門学郡。
そうとうのスポーツマンでスポーツエリートであったはず。
あまり関係ないはなしですが、こんなところにも惹かれるのです。

またびっくりしたのは、彼の自宅兼窯場のある場所です。
何もこんなところにって思うほどの、山の中です。
車がぎりぎり通れる林道をどんどん登っていくと、
ようやくあたりが開けて、薪がどかんと積み上げてある
窯場と家がありました。電線は戸田さんの家めがけて、
それだけのために、山の中を走ってました。

でも最高のロケーションです。
朝は朝日が最高で、夕べは夕日が最高でしょう。

手元にある作品はわずかでしたが、
その志向はよくわかりました。
焼締めというと、武骨な厚手が多いなか、
戸田さんは、磁器のような薄手の凛とした焼締めに挑戦していました。
穴窯は極端な温度差があり炎が激しく走るので、
薄手のもは、歩留まりが悪いはずです。しかもとても緻密な作りなのに、
勢いを失くさず、凛として上品な感じです。
近道をあえて拒否して、しかも正道を行く戸田さんの生き方は
あっぱれとしか言いようがありません。
南蛮か備前か須恵器か どれも違うが、どれでもあるような
そんな作品です。来年早々に銀座松屋で個展があるそうです。
近くなったらまた案内しますが、是非行ってみてください。
それにしても心配です。
雪が降ったら、里に降りれるのだろうか?
きれいな奥さんや生まれて間もない赤ちゃんは
冬の間だいじょうんぶなんだろうか?

で、
ほかにも収穫はありました。
ベテランの陶芸家にもお会いしてきました。
ちょっと変わった刷毛目と、緻密な色絵をやる方です。
益子のもえぎで、個展の最中でしたが、ご自宅で
お会いできました。西村俊という方です。
とてもいい感じの方。人間としての深みがあるっていうか
ずいぶん年上なのに、すっかり和んでしまいました。
作品は来年にでも紹介できるように、依頼してきました。おたのしみに。

あと これも収穫。

大きなガラスのビンと目覚まし時計。
我が家の調度品。昔からの馴染みの古道具屋さん“おお屋”で購入。
古道具や古材をお探しなら、是非 益子のこのお店。

ほかにもいろいろ収穫のあった日帰りの旅でした。
妻はどうやら、風邪ももらってきたもよう。


期待したい陶芸家
    2005年11月4日

陶芸家っていうと、芸術家のようだが、芸術ってそもそもなんだ?
ましてや茶人とは? 風流人とは?

そんな難解なものに悩まさせずに、飄々と
まじめに焼き物に向き合ってる人が好きだし、
そういう人の作品は、ひと目で好感できる。

先日そんなまじめな青年がDENを訪ねてきた。
以前も来店し作品を拝見したが、今回持ってきた作品は
以前よりずっと良くなっているように思えた。
今、個展の最中だそう。是非彼の名前を記憶してほしい。


小澤基晴。多治見で窯を構えるこれから期待の・・・
やっぱり陶芸家って言うのだろうな それが一般的なんだろなぁ
いつも迷うが、結局は陶芸家。
陶芸家と陶工の中間の言葉を誰か作ってほしいもんだ。
茶人にならって、陶人というのはどうだろうか


いろいろあって・・・落花
    2005年10月25日

先週、少し治ってきたと思っていた椎間板ヘルニアをまたまた
悪化させてしまった。ついでに、右手首に激痛!!
なんでかてんで分らんが、痛いなぁ から 突然すっげー痛てぇー!!
になって、しまいに箸も持てなくなった。
行きつけの整体院での治療の甲斐あって、今週になってからは
ずいぶん良くなったが、あの手と腰の同時激痛は二度と経験したくない。
が、
喉元すぎれば・・・などと言うが、痛みも和らぐとすぐ、健康のありがたみを
忘れていく自分に気付く。

 香れども姿見せずに咲く木犀 
   秋雨に散って その金色を見る -den-

金木犀は咲いてる時は、濃い葉の色に紛れて、あまりひと目に着かない。
けれど雨に散って落ちると、いたるところで
道を黄色に染めて人の目をひく。

名物を残した名もない陶工たちも、そんな慎ましやかな生き方をしたのだろう。
『芸術家は清貧を可とすべし』と言った近藤悠三の言葉を、ケガや病気になって
思い出し、元気になって精力に溢れてくると忘れて暴飲暴食したりする私。

せめて老いたら
金木犀のように 生きていきたいものだ



合格?     2005年10月15日

今日は朝から、長男の少年野球の市大会だった。
が、球場に着くと、にわかに雨がどっと!
1時間ほど待ってると止んだので、皆でスポンジやらスコップやらで、
グランドの水吐き出し作業。
で、
また椎間板ヘルニアを悪化させてしまった。改善にむかっていたのに も〜
しかも、再度の雨で、結局試合は中止。がっかりな午前中でした。

久々にゆっくりした午後すごせるのに、腰が痛くてどんな姿勢でも
落ち着きません。で、お茶でもしよっ!てことで、
お気に入りの湯のみと、自作の茶うけ盆で気分転換。



湯飲みは、神奈川は足柄の人気陶芸家三上亮さんの
てびねりのもの。
盆は、受験生のための合格(五角)皿
ステンレス製です。

で、
いま思いついたんですが、
勝負師のための“白星皿”ってのもどうかな?

来週は勝つぞ〜!



大殺界炸裂!!
  2005年10月11日

 この日曜日 地域の神社のお祭りで、
子ども会の野球部である我等野球部スタッフは
お祭りの設営に全面協力。が、
朝から雨、雨、雨。私は、長靴、カッパ、ヘルメットで服装だけは
気合を入れて協力したが、やっぱりどっかで気が抜けていたのだろう。
朝一のテントの設営で、いきなり指を挟んで、薬指の爪を
まっぷたつに割ってしまい、祭りの朝から血まみれ。
前々からの疲労でへろへろだったが、その日は何とか切り抜けた。が、
月曜日は、朝からお祭りの片付け。しかもまた雨。
いやな予感はあったのだが、案の定。長テーブルを収納中
持病の椎間板ヘルニアを悪化させ、その日と今日はまともに歩けなかった。

細木数子のあの傲慢さは好みではないが、
六星占術はある真理を含んでいる。
ときどきそう思うことがある。思い出すと携帯から今日の運勢を
見ることがあるからだ。で、
昨日と一昨日は、『停止』と『減退』つまり大殺界。
で、でもね。運が悪いなぁって思った時は、ちょっと冷静になって

 『あぁ これくらいで良かった』

と考えるようにしてる。大殺界のわりに楽しいお祭りだったし


 

野球部の子供達は
このお祭りの日、
演芸会で
楽しいダンスを披露!
連日の練習の成果もあって
けっこう好評!


野球部出店の焼き鳥や焼きソバやビールなどすべて(私の大殺界は影もなく)完売!大売り上げ!
非常に良いお祭りでした!

私の爪と背骨以外は。



レモンの日  2005年10月5日
今日はレモンの日らしい。
何故レモンの日かといえば、
高村光太郎の妻 智恵子の命日だから。
何故智恵子の命日がレモンかといえば、
精神病を病んでいた智恵子が、亡くなる数時間前に
レモンをかじって正気をとり戻して逝ったのです。

レモン哀歌
                     高村光太郎

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた

かなしく白いあかるい死の床で

私の手からとつた一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱつとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智恵子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時

昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして

あなたの機関ははそれなり止まつた

写真の前に挿した桜の花かげに

すずしく光つレモンを今日も置かう

                           「智恵子抄」より
宮沢賢治の“永訣の朝”とともに、中学生の頃
の教科書で読んだ覚えがある。
愛する人の死は何故こんなにも悲しくも美しいのか

さて、話は変わって私ごと。
レモンにゃ、10年以上前に思い出がある。
そのころTV-CMのプロダクションにいた私は、
撮影小道具で、“きれいなレモン”を3日くらいかけて探したことがある。
秋葉原の近くの青果市場のレモンの山から、
撮影用の“きれいなレモン”を探すのだ。
最初は意気揚々と始めたものの1時間ほどで、うんざりしてくる。
3日もやれば、頭のなかはマッ黄〜ろだ。
そしていつか発狂寸前
“きれい”ってなんだ?典型的ってなんなんだ?
レモンひとつひとつ個性的で美しいでないか!

それがあの仕事に疑問を抱いたはじまり。
陶器屋を志す布石であったかなかったか それが私のレモン記念日?


気分転換  2005年9月23日

先日の敬老の日に、
息子の少年野球仲間と有志のコーチたちで
フィールドアスレチックに行って来た。
この夏野球漬けだった彼らの、
気分転換がコーチ達のネライ!
どろどろになって、子供らしく弾けてた。

まあまあ 目的は達したかな
今日からもう、野球漬けにあともどり。
10月の最後のトーナメントは、この泥んこだましいで、
ひと花咲かせてほしいものだ。
どろ沼に浮く蓮の花みたいに

 


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高嶺の猫  2005年9月10日

車を停めて、前を見上げると、
木陰の向こうの高いところに、いつもの猫がいて、
ああ、あんなとこにいるって思った。

 

いつも見下げてるもんに、見下げられると、
なんだが野良猫でさえ、高嶺の花に見えてくる。
それだけ人間の気分は、状況に左右されやすいもんだ。

そうそう、明日は選挙。

逆に、高い処にいると、自分が偉くなったようなカン違いをするもんだ。
明日の選挙で、小泉さんが圧勝しても、
是非ともカン違いしないでほしいものだ。
ライオンもおだてりゃ・・・なんて無しでっせ。


組み体操  2005年9月9日

 母校(中原中学校)の前を通りかかったら、体育祭の組体操の練習中だった。懐かしくなって、ちょいと覗いたが、カメラを向ける自分自身が怪しげに思えたので、早々退散した。

それにしても、体育祭男だった私としては眺めるだけでも感慨深い。
体育祭などは、私みたいな中年男の悲哀を刺激するようだ。

こんなふうに裸足で裸になるのは、今では犯罪のように感じる。
前世の思い出のよう。あのとき好きだった“あの娘”のことさえ。

相対性理論が、発表されて今年でちょうど100年だそうです。
最近の中学生が痩せっぽちに見えるのは、特殊相対性?

カトリーナって    2005年8月31日

 
 カトリーナってハリケーンが、アメリカ南部に巨大な被害をもたらしています。
不謹慎な比較ではありますが、9.11のテロの被害をはるかに超えると思われます。

ただ、毎年決まってくるものに、何故大規模な対処をしないのでしょうか。
それがアメリカ的な精神ともいえるのかもしれませが・・・
どこかに『飛ばされりゃ、またつくればいい』っていうような楽観あるように思う。
けど、その楽観は、強靭な精神の裏返しでもあると私は思う。

第二次世界大戦が終わったあと、映画『風と共に去りぬ』を見た日本人は
驚嘆したそうだ。自分たちが、飲まず食べずの死にもの狂いの戦時中に
アメリカではこんなすごい娯楽映画を作っていたとは!って。
たしかに国力の差は歴然だが、それだけに驚いたのではない。
帆船で大西洋を渡ってきた先祖をもつ民族の
強靭な楽天ぶりが、その映画に映し出されてるからなのだ。
ちっこい島国根性とは、やっぱり決定的に違う。

『風と共に去りぬ』の主人公スカーレットオハラの名を、
このハリケーンの名カトリーナで、なぜか思い出したのでした。

スカーレットオハラの強靭な底力を今回もまた見せてくれるのかアメリカ!







モデルの気持ち    2005年8月2日

元気なうつわ NO BORDER篇は、たいへん好評のうちに終了しました。

で、本日は前々からの腹痛のため、
大腸の内視鏡検査に行ってきました。
前日の昼から、かぼそい検査食でもちろん朝食はなし。
でもって
来院してから、1800ccも下剤を飲んで、腸内を空っぽにするまで
何度もトイレで出しまくるわけです。
数人の検査待ちの人たちと、
変わりばんこにトイレで、便が出なくなるまで頑張るんです。
客観的に見ると結構笑える光景です。
でも検査者たちは地獄の様相。
それはそれはかなり苦痛で厭になりました。



こんな苦痛で、検査は一層苦痛なのかと思っていたら、
点滴の麻酔を打ったらすぐに眠ってしまい、
『終わりましたよ田口さん』って
ドクターに起こされるまで数十分なんの記憶もありません。
お尻の穴に突っ込む瞬間とか、ちょっと恐怖(期待?)してたのに、
後味さえありません。なんか損したような、複雑な気分。

で、

ドクターは『とてもきれいでしたよ』って。
う〜ん
うれしいかも!
食料制限とあの苦痛に耐えて頑張った甲斐あって
いい写真が撮れたのがうれしい!!
そんなグラビアモデルの気持ちになってる私って変かしらん?

もうすぐです    2005年7月15日

19日(火)から、展示会が始まります。
元気なうつわ展 NO BORDER篇です。
で、今日はお店の展示レイアウトのための片付け。

山本一仁さんの作品が到着しました。

自在な形に魅了されます。
しかも使い勝手が良い感じ。
残る二人の陶芸家の作品が待ちどうしい。
到着するまでは、何かと心配です。

何故かっていうと、陶芸家っていうのは、
ある意味 わが道を行く!!!もんだから・・・

四球式? いや 一球でした    2005年7月14日


こないだの日曜日、息子(11歳)が優秀選手として選ばれて、
高校野球の地区予選の始球式を、やらせてもらった。
たった一球なのですが、チームメイトや地区の役員の方まで、
大勢球場に観にきてくださり感謝感激。
慣れない硬式ボールで大変緊張した一球ですが、
うまくいい球を投げてました。ほっとしました。



予想外     2005年7月9日


世の中のことはほとんどわかっているような気がして
日々暮らしてはいるものの
私達は行くべき方向が、右か左か上か下かも、わかっていない。
右だとばかり思っていたのが実は左で、
下にいるんだと思ってたら、空に浮かんでいたり。

さて、
下の画像は何でしょう。
クリックすると大きな画面が出ます。

川崎大師(平間寺)にて


びっくりしませんか。
鯉みたいですよね。
ふだんのびりして、欲得がないように見える。
なのに、餌あげるおじさんがやってきたとたん、
岩の上でのんびりしていたもんまで、
アッというまに飛び込んで、おじさんの前にやってきた。

予想外でした。


皮肉なもの   2005年6月23日

今日、仕事の途中で、白洲正子の旧邸である武相荘の前を通った。
ちょいと寄ってみようかとも思ったが、入ろうとする着飾ったご婦人方が見えて、
自分の格好を見直してやめる事にした。(工事作業着でしたから)
車を止めて始めての方の案内に、写真を撮っておく。

写真を見せるまでもなく、ユニクロの看板が目印です。
ユニクロの背後の小山に、武相荘はあります。

生前、白洲正子は、工芸品のなかでもとりわけ染色に造詣が深く、
銀座に染織工芸の店を出したほど。
カラフルな生地が売りの量産店であるユニクロが、
目印なのはかなり皮肉なことだと思う。
悲しい感じさえしてくる。
武相荘についてのページはこちら

出て来た言葉 2005年6月21日

なんとはなしに過ごしていて気付いたら
一ヶ月近くも、このページを更新しないでおりました。
具合でも悪いのかと思った方、ごめんなさい げんきです。

このページ以外はけっこう更新しているような気がするのですが、
このページがいつも後回しで、おろそかになるようです。
さて、今日は元気なうつわ展 NO BORDER篇プレビュー ページを
作りましたので、お目通し願います。

市野雅利 作刷毛目角皿
陶器好きは、
すぐ裏にして底を見たがります。
それって、犬同士が挨拶代わりに、
お互いのお尻の匂いを嗅ぐのに似てると、思うんです。


はなしは変わりますが、
文章を書くと、自分の文を何度となく読み返すわけです。
書く時はいきあたりばったりに好きなことばかり書いてるので、
気が付かないのですが、読み返すことで、自分の言葉に気付かされることが
あります。たとえば、↑のプレビューページの最後に

ただあの花園に朽ちた戦車が埋もれているCMは大好きです。
あのミスチルの歌も好きです。
歌詞の
『傷つけ合うためじゃなく 僕らは出会ったって言い切れるかな?
今分かる答えは一つ ただ一つ Uh I Love You・・・』
は、やはりパラドックスに聞こえます。
人は傷つけ合うために出会うのです。
その傷を乗り越えた愛に真価があるのではないでしょうか。

なんて無自覚に書いていることに改めて気付いてはっとしたりするのです。
これは私の潜在意識の中で育った願望だなって思ったのです。
というのは、妻と娘のこと。
娘も中学2年ともなると、かなりの反抗期で、妻とは性格が似てることもあり激しい口論に始終なるからです。かといって非常に馬の合う側面もあり、強く結ばれているところもあるのです。そんな彼女たちを傍らで見つめていた私の切なる願望が、ひょっこり芽を出してしまったのだ。そう思ったのです。

言葉は搾り出されるときもあれば、あふれ出ることもある。
自分の意思に関係なく、ふと出て来た言葉に動かされること よくあります。

運動会のあと 2005年5月25日

最近の運動会はあっけない。
プログラムも少なめだし、危険なことは少しもしないし、応援も、しがいがない。
紅白の勝ち負けに賭けでもしないかぎり、盛り上がれない!!
なんて親どうしで話した。


で、ささと運動会は引き上げ、ガーデンパーティのおよばれ。
運動会のうっせきを、酒と楽しい会話で晴らしたのだった。


で、気になる会話

ホストのしんちゃん こまごまと動いている妻を賞して
『しょうちゃん(妻)ってよく働くよね〜』

ゲストのしょうちゃん
『うん。兄に、みんな しょうちゃんみたいに
働くって思っちゃだめだよってよく言われるの』


おいおい それって自画自賛だし、ここには君のほかに
女の人が二人いるし・・・

でも黙ってた。みんな酔ってるし、聞き流してるみたいだし・・・


背番号 3 の奇跡  2005年5月21日

去る5月15日はかく言う私 誕生日で、43歳とあいなり申した。
4+3のラッキーセブンなので、
護摩供のお札の前で、巨人の必勝願いをしたところ、勝つは!勝つは!
交流戦あけには、さらに猛反撃で、首位をねらうぞ〜って勢いです。

で、いま
ジャイアンツの公式サイトを見てみると・・・




これって誰の字だと思います。

そうです そうです。

チョーさんことミスタージャイアンツ!長嶋茂雄の筆跡!

脳梗塞で入院以来はじめてのファンへのメッセージだそうで、
最後に直筆にて、15/5 2005 と 3 の文字がしっかりと書かれていて、
それは、それは 涙が出てくるほどの感動です。
http://www.giants.jp/pts/pdf/nagashima_.pdf
私の誕生日に、チョーさんが同じ願いでファンに応援を呼びかけてくれたことが
すごくうれしいです。ちなみに私が願をかけた真言のお札の傍らには、
しっかりと往年の長嶋茂雄のプロマイド写真がかかげてあるんですよ

では あらためて

がんばれジャイアンツ! 優勝!必勝!快進撃! で、全快チョーさん!

電網は天網ならず 2005年4月27日

盛況のうちに、あと一日になってしまいました。
日々春めいてきています。
作家さんも北の工房で、春の日差しを肌で感じていることでしょう。

大きな脱線事故は、
コンピューター社会の盲点を改めて見せ付けている。コンピューター社会に生きていると思ってる我々は、コンピューターによって守られているような錯覚をもって生きているが、コンピューターは、人の過失や能力不全をほとんどカバーしないのだということを再認識させられる。乗車客ももちろん、より安全なシステムのなかで、運行されていると思っていただろう。そして、それにもまして、運転手も、まさか そんなもろいシステムのなかにいるとは、思っていなかったのでは・・・

コンピューターのシュミレーションにリアリティがないように、この運転手にも脱線のリアリティーがなかったのではなかろうか。

それは温暖な都会で、雪国の画像を見るようなもの。
雪の、凍える冷たさ、重さ、厳しさを、画像は本当には少しも伝えない。
逆に伝わるような気がするだけに、恐ろしい。
コンピューター社会にはそんな見えない穴がいたるところに空いている気がする。

   天網 恢恢 疎にして漏らさず
とは、天の網は、粗くてスカスカのように見えるが、悪人を漏らさずに捕まえて、天罰を与える というような意味だろうが・・・
コンピューターシステムやインターネットでは、その逆。

   電網ミチミチ密にして ザル

そう、こころに記して、被害者に黙祷。

サクラチル 2005年4月10日

あっというまに桜が散りました。
ばっと咲いたなと思ったのが金曜日で、土曜日には満開で、
日曜日の風に散るは散るは・・・
そして、昨日と今日の雨で、桜はすっかり濡れ桜ちりじり

願わくは花の下にて春死なむ
       そのきさらぎの望月のころ −西行-

日本で最も桜を愛したと人と言っても過言でない西行。
桜が咲いてるときに死ぬなんて、異常気象の昨今では、
自殺でもしないかぎりできそうもない。
きさらぎ(旧暦2月)の望月の頃に釈迦が死んだとされているとはいえ、
しかも、満月ったぁ〜 虫が良すぎるぜぇ〜西行さん


月がきれい  2005年3月26日

とっても月がきれいな夜です。
ここのところ、月がきれい。

昨日、“うつわのこと”“こころがどこにあるか”ってコラムを書いてみました。
皮膚感覚に光を当ててみたんですが、思えば“肌”って漢字は、
こんな風に見えないですか?

   

山に月明かりがあたって、山肌を光らせている
みたいに見えるでしょ。

 やわ肌 もち肌 ひと肌 肌合い 肌が合う ・・・みたいな言葉たちも
なんとなしに情緒があって好きかも

ということで、
コラム読んでみてください。

かたくりの花  2005年3月4日

去年の三月の終わり頃見たカタクリの花を
今日このHPを見ていて思い出した。
岐阜の瑞浪の田村浜男さんという陶芸家のうちにお邪魔したとき、
みんなで自宅から窯に行く途中に、“これがカタクリ”って教えてくれた。
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一年はとても早い。今日は横浜も雪。
瑞浪のカタクリもまだ雪に埋もれているのだろう。
けれどあと数日で、カタクリは花を咲かす。
ほんとうに一年は早い。そして春も駆け足でやってくる。

田村浜男さんの花器 2005年3月2日

2日ほど前、ある出版物の撮影で、
大好きな田村浜男さんの花器を使わせてもらった。
で、カラーなんかを妻が生けたので、デジカメで撮影して
トップページのメイン画像にしてみた。

葉っぱの影が、花器の表面に映っていっそう美しい。
田村さんの粉吹は、破裂しそうなギリギリまで焼成するので、
独特の肌合いを表出する。是非アップも見てほしい↓
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オーダーメイドの花台 2005年2月26日

昨年の末に、こんな花台ができますか?っていう綺麗なイラスト付きのメールをいただいた。おそらくはデザインの仕事とかしている方なのだろう。イラストソフトを無駄なく使いこなして描いているシンプルな作りの花台だった。
何度かイメージをやりとりして、先日やっと納品させてもらったら、とても喜んでもらえた。
メールのやりとりだけでも、ある程度気持ちが通じ合えるものだなぁ
と愉快な気分になれた。
  
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ステンレス製で、甲板は焼き杉です。
高さ違いの3台あり、互いに重なり合います。

北海道の陶芸の若きプリンス 2005年2月22日

一昨日、北海道の人気陶芸家 工藤和彦さんがDENにお運びくださった。
有名陶磁器ギャラリーのサヴォアビィーブルでの
個展の会期中で、東京神奈川方面に滞在のため、
次回DENでの企画展の打ち合わせと顔合わせを兼ねていらしてくださった。

彼はほんとの好青年といった感じで笑顔がとても素敵な若者。
それに、いつもニコニコしていて笑顔を絶やさない。
頭もいいし、よく気も使う。
こんな好青年の手から、あの寂びれたうつわが生まれるとは
俄かに信じがたいほどだ。
なぜか その落差がとてもうれしい。



元気なうつわ展 北国篇 4月下旬予定してます。
工藤さん よろしくお願いします。ご来店ありがとうございました。


坂口健さんの個展に  2005年2月7日

とてもすばらしい個展だった。
成長の過程がはっきりとわかる、手ごたえのある個展だった。
それにしても初個展で日本橋高島屋美術サロンっていうのは快挙だ。
デパートの美術部には負けたくなって気持ちからか変な敵対心を持ってきたが、
身内のような作家さんが、初個展で日本橋高島屋っていうのは、
何はともあれ、たいへんうれしい。今後の大活躍を期待したい。

で、何を買ったかというと、
迷いましたが、やっぱり酒器になっちゃいました。
坂口君はなかなか子供のようなちゃめっけがあって、
紋様の中に文字や日付を隠し入れたりしてるんですが、
わたしもちゃめっけでは負けません。
しっかりと自分のマークを作品のなかにひそかに見つけて、にんまり。
たぶん坂口君でさえ気づいてないでしょう。
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模様と反対側の景色も見事なので、見て!

さっそく“我が家のうつわ”にも掲載しました。


実はこの徳利の模様の輪郭に、ひらがなの“い”の字を見つけたのです。
私の名前、巌(いわお)の“い”の字。ねっ!
それが縁で、我が家に来ました徳利とぐい呑み。
じっくり、かわいがっていこうかと思ってます。
“いろはのい”から・・・


用水路にお札 2005年1月31日

埼玉県蓮田市黒浜の用水路で1月29、30の両日、
相次いで現金計約1700万円が見つかった。

ふと
気づくと、道端のU字溝を覗いてる自分がいる。
届け出た人は、ほんとにえらい!と思う。
が、
総額が全部出てきたとはとても信じがたい自分がきらい。


はやめに節分 2005年1月29日

今日は仕事を午前中にして、
江ノ島大師(最福寺別館)に久々に行った。
毎年節分の護摩供には行ってるのだが、
法主様の都合で、今年はやけに早めになっちゃったみたい。
毎度のことであるが、2時間におよぶ護摩行はなかなか辛い。
足はしびれ、声は枯れたが、気持ちはとてもいいものだった。
最後の法主様(江口恵観)のことばは、いつもと違ってやや暗め。
というのは、年回り的に、今年は60年周期に
自然災害の多い年だということだから。
懐中電灯は持ち歩きましょうって言われてました。
江ノ島は曇り
帰りには振り出した
参道をはずれた裏道は寂れた感じだが情緒がある。 江ノ島は住民の数と同じほど、猫がいると思う。

江ノ島大師は、江ノ島山頂付近の断崖の上に建ってます。
地震には、平気なのか、ちょっと心配。
いっぱいいる猫たちを見かけなくなったら、修行僧の方々も気をつけて。

みなさんも、今年は少し気をつけて生きましょう。
懐中電灯は文字通り懐中に!

寒い日も 2005年1月25日

今日は少し寒かったけど、
やっぱりシートの上みたいなところは、いくぶん暖かなんだろう。
バイクのシートの上に今日はいました ちょっと小さいのが。


そばに行ったら、
ぴょんと飛び降りていなくなっちゃった。

しばらくして、又見ると
やっぱ いない。
と 思ったら いたいた。


かわいいかも。
こっち見てる〜。
でも、エサはやんね〜ぞ

冬の陽だまりで 2005年1月21日

今日もいいお天気でした。ぽかぽかしてました。
ここのところ穏やかな日が続きます。

 工場の駐車場に軽トラックを置いておくと、
いつも荷台のシートの上に猫が乗ってるんです。。
陽が当たって暖かくなったシートが気持ちいいのだろう。

が、
今日はいないなぁと思って、
運転席に座って前を見ると、
  いました、いました
目の前の陽だまりに “つがい”でいました。
それも、2組のつがいです。 夫婦かな?親子かな?
色別に並んでます。

元来 犬好きの私ですが、最近猫にも、いやに惹かれます。
野良犬は保健所にすぐつれていかれますが、
野良猫は、嫌いな人が近所にいないかぎり平気みたい。
一日中のんびりしてるみたい。

私はただ見てるだけで、エサはあげないんです。
必要以上にエサをあげたりすると、
増えちゃって、保健所ザタになったりしそう。
猫の悲哀や苦しみは私にはわからないので、
ただただ見守ってるだけ。

クリックすると、拡大画面が出ます。


ケンキチと出会った 2005年1月20日

東京は飯田橋で、パーティーがあり、
帰りに、北の丸公園のの国立近代美術館工芸館に寄ってみた。
人間国宝の日常のうつわ―もう一つの富本憲吉と題して
富本憲吉の安くて美しいうつわの追求をたどった展示会だ。
わが意を得たりって感じでとても感服してしまった。
憲吉といえば、金襴豪奢な金銀彩の人。
さぞかし育ちのいいインテリだろうなんて思ってたら、大きな間違いでした。
まず、仕事する憲吉の顔写真が、それを証明していた。
インテリというより、骨太のギラギラした労働者の顔だった。
その顔付きと正反対の、瀟洒なうつわと、繊細かつ大胆な筆の、
究極的にシンプルな模様。(特に薊模様が好き!)
そしてなにより、安くて美しいものをいっぱい作り出したい
という憲吉の熱いこころざしにとても心動かされた。

感動さめやらぬまま、北の丸から内堀ぞいに大手町へ歩いた。
鼻息も荒く大手町駅ホームに飛び込むと、うれしいじゃないか
チョーさんや、王さんや、川上さんだ!!
なんとか今年はよろしくと、お三方に思わず手を合わせてしまった。
  
民藝運動と言えば、河井寛次郎、浜田庄司、柳宗悦と
私の中では思っていたのだが、むしろ富本憲吉の方が、
その真の精神を実践していた人だったのではなかろうか。
で、
北の丸方面に向き直って、手を合わせたのだった。



川崎から見える富士  2005年1月18日

川崎の中部の丘陵(多摩丘陵)に
影向寺という古刹があり、その辺りからの富士は格別で、
今日は快晴で見事に見えた。

影向寺の法灯は、白鳳時代末期(7世紀末)にまで遡るといわれ
言うまでも無く川崎最古の寺だ。
ここからは富士ばかりでなく、返り見すれば、多摩川をはさんで、
はるかに東京の街並みを見渡すことができる。
東京タワーも、サンシャインも見える。
ゆえに寺とはいえ、古くから軍事的役割を果たしていたことだろう。
ここからの富士は、江ノ島からの富士と匹敵すると思う。
あるいは、上野の山あたりから、見えたであろう
江戸の富士にも似ているのではないだろうか。
いずれも、軍事的な高見台であったろうが、
今日ではその富士が平和の象徴であってほしいと思う。

昨日話題にした国道246は、東京から厚木に向かう道すがら、
道の真ん中に富士山が見えてくるポイントがある。
丹沢の山々の向こうに聳える富士の霊峰が見えると
すっと心が洗われるような気持ちがする。

山は地球を盛ったうつわだ。
霊山を望む同じ快感が、手の中の美しいうつわを見るときにもある。

赤瀬圭子作


高架?不幸か?  2005年1月17日

うちのお店は、国道246号のすぐそばなのだが、
その最寄の交差点はいつも渋滞している。
それでようやく、その交差点も高架工事がはじまって
橋げたの一部が設置された。
来年の今頃にはできあがって、渋滞も緩和されるのだろう。
が、
わが店にとっては、、高架だけに、幸か不幸かは不明。
道の流れが変わると、当然だが、気の流れが変わる。
渋滞がなくなれば、一般的には流れが良くなるはずだから期待はしてる。
いずれにしても

ゆく川の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは
かつ消えかつ結びて 久しくとゞまることなし
世の中にある人とすみかと、
時に商いもまたかくの如し


抱負  2005年1月10日

今年の抱負は、『三歩進んで二歩下がる』とした。

抱負の“負”は、“抱” 同様、背負う、抱くという意味だそうだが、
私は『“負”を抱く』というような意味で解したいと思う。
つまり、負(マイナス)の気を抱いてゆくことの重要性を
大事にしたいと思うのです。

字面が似た言葉に、『抱一』という言葉があります。
老子の言葉で、天の気と、自分の内なる気の同一を目指す思想だ。
仏教好きの私だが、この道教の言葉は、シンプルさゆえ、とても好き。

負(マイナス)を抱くことが、抱一の最初の一歩のような気がする。
プラス思考ばかりが、もてはやされる時代であるが、
負を抱く包容力にこそ、ほんとうの人生の課題があるように思うのです。


ステンレスの鳥 2005年1月6日

金属加工が本業なので、
最近は、金属でつくった干支なんかを作ってみることがある。
今年もちょいと作って、お店用の年賀状にしてみた。
↓これがオリジナルの画像。

↑クリックすると大きな画面が出ます

ぐい呑みは、望月明日太さんの作品。
嫌味がなくて馴染むので、最近は時々使ってる。
鳥の置物は、たて樋を支持する金物(ステンレス)とボルトとナットで
作った。みなさまの本年のご多幸をお祈りして立ってます。


これもまた、めでたいもの。
なんでしょう?クリックしてみてください。


あけましておめでとうございます 2005年1月4日

私は今年 細木数子に言わせれば、中殺界。
乱気という名の年回りのよう。
もちろん運気は低調なのだけれど、それでもやっぱり

犀の角のように、ただ歩む    だけ

今年もよろしくお願いします。
↓は、今年の個人差出の年賀状。

光をいっぱいに受けた我が家族であります。
私は羽をつけて飛んでおりますが、
天にめされちまった感じもしますなぁ


さて ↑は、ぐっと荒んだ感じの背景となっていますが、
『乱気』は、こんなイメージでしょうか。しかしながら
多少暗めではありますが、裏道には裏道の風情が
あるってもんです。

実はこれ今日寄った『横浜らーめん博物館』のなか。
なんでもあり〜の昭和の風景でさえ、時代の色があるよう。
ここ『横浜らーめん博物館』では、昭和の色は、夕焼け色って
設定のよう。

平成の色は何色となるんだろうか。


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